新たな憲法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 14:52 UTC 版)
「フランソワ・デュヴァリエ」の記事における「新たな憲法」の解説
1961年になるとデュヴァリエは57年に定められた憲法をないがしろにするようになる。まず二院制を廃止して一院制を導入し、ついで新たな大統領選挙を行った。立候補したのはデュヴァリエ一人だった。しかも任期は1963年までであり、憲法は再選を禁じていたにも関わらずである。この選挙では悪趣味なまでの不正が行われ、公式発表によれば1,320,748名の有権者が大統領の任期延長に賛成であり、反対票は投じられなかった。「人民の意思に従います。私は革命論者であり、人民の意思を拒む権利など持ち合わせていないのですから」選挙結果をうけてデュヴァリエはこう宣言した。ラテンアメリカはいくつもの不正な選挙を経験してきたが、いままさにハイチで行われているものほど常軌を逸した例はなかった、というのがニューヨーク・タイムズ誌のコメントである。1964年6月14日に行われた「終身大統領」制度に関する憲法改正の国民投票ではさらに露骨な不正がまかりとおった。これまで七人のハイチ大統領が名乗ってきたこの肩書きに賛成する票は全体の99.9%というありえない数字に達した。すべての投票用紙にはあらかじめ「YES」のところに印がつけられていた。新たな憲法はデュヴァリエへ終身大統領、「君主」(と彼は呼ばれた)にふさわしいだけの絶対的な権力を認め、またその後継者を指名する権利も与えたのである。
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