新たな批判精神の出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 04:33 UTC 版)
「南部ルネサンス」の記事における「新たな批判精神の出現」の解説
1920年代の南部ルネサンスを特徴づけている批判的精神は、「敗北の大義」を支えてきた作家たちが南部文学の優位を占めてきた南北戦争後の長い間にその源をもっていた。 1880年代から進んで、George Washington Cableやマーク・トウェイン(彼はしばしば南部出身者と見なされている。彼は奴隷制度のあったミズーリ州で育ち、南部について書いたため)といった何人かの白人南部作家は、当時の露骨な人種差別や黒人搾取を指摘し、南部の礼儀正しさ(chivalry)を嘲笑することで、南部へのノスタルジアを捨てた。 1890年代、ジャーナリストWalter Hines Pageや、学者のWilliam Peterfield Trent、John Spencer Bassettはそれぞれ南部で権力を握っている人間の文化的、知的凡庸さを批判している。1903年、トリニティカレッジ(後のデューク大学)のBassettは、アフリカ系アメリカ人のリーダー、ブッカー・T・ワシントンを「リー将軍を除いた、過去100年に南部に生まれた、最も偉大な男」と呼び、影響力をもつ白人南部出身者に怒りを表明した。 第一次世界大戦以前、敗北の大義への信条に向けられた広範囲で率直な批判の多くは、南部で育ったアフリカ系アメリカ人作家によって述べられた。もっともよく知られているのはCharles W.Chesnuttの小説“The House Behind the Cedars and The Marrow of Tradition”だが、1970年代以前、南部出身のアフリカ系アメリカ人作家は南部文学の担い手とは見なされなかった。というのは、作家や評論家の大半は白人男性で、彼らは自分たちを南部文学の伝統のなかに位置する主な作り手であり、後見人であると見なしていたからだ。 南部ルネサンスは南部文学なかで起こった最初の運動で、南部の文化的・知的生活に対して批判を表明した。南部ルネサンスは南部文学の伝統と、アウトサイダーによる表現の両者から現れた。1920年代の風刺家H.L. Menckenが著名であり、彼は南部文学の気取った伝統を非難し、知的生活の田舎くささを嘲笑した。1920年のエッセイ"The Sahara of the Bozart"で、彼は南部をアメリカのなかの最も田舎で知的に不毛な地域として選び出した。彼は次のように主張している。南北戦争以来、南部の知的・文化的生活ははなはだしく衰退した。南部の保守的な社会のなかで抗議の嵐を巻き起こさなければならない。すでに南部の現代的な生活を批判していた多くの南部作家は、メンケンのエッセイに勇気づけられた。
※この「新たな批判精神の出現」の解説は、「南部ルネサンス」の解説の一部です。
「新たな批判精神の出現」を含む「南部ルネサンス」の記事については、「南部ルネサンス」の概要を参照ください。
- 新たな批判精神の出現のページへのリンク