新たな挑戦、第二次ヒョンビンブーム(2008ー2011)
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「ヒョンビン」の記事における「新たな挑戦、第二次ヒョンビンブーム(2008ー2011)」の解説
『私の名前はキム・サムスン』での御曹司の好演以来、ラブ・コメディのオファーが相次いだが、既に演じた役ではなく他の役に挑戦することで「ヒョンビンという俳優が与えることができるイメージを変えなくてはと決心した」と語っており(2011/02/14 CINE21 Webインタビューより)、多様なキャラクターへの挑戦を始める。 俳優に過酷なことで有名なユン・ジョンチャン監督の映画『私は幸せです』で精神科で療養する青年マンス役を熱演。体重が4kg落ちるほど苦心して役作りしたこのキャラクターを、約10年後に最も印象に残っている役として挙げている。本作は第13回釜山国際映画祭(2008年10月16日)の閉幕作に選ばれ上映された。韓国内の公開は翌年2009年11月であった。 2008年10月よりKBSのテレビドラマ『彼らが生きる世界』で1年9か月ぶりにテレビに復帰。 2008年下期に所属事務所が吸収合併される中、チャン・ドンゴンが新設した「AMエンターテイメイント」に移籍。 2009年、映画『友へ チング』(2001年)をリメイクしたMBCのテレビドラマ『チング 〜愛と友情の絆〜』に出演。映画版ではチャン・ドンゴンが演じたハン・ドンス役としての出演で、周囲からは興行的に成功した映画版と比較されるためオファーを断るよう言われたが、映画館で当作を鑑賞した際、いつか俳優になってこの作品に出演してみたいと強く思ったことから、自分を心配してくれる人々に申し訳ないと思いながらも助言は聞き入れず、二つ返事で出演を決断した。決断時に同席していたチャン・ドンゴンもオファーを受けるように言ったという。 『私の名前はキム・サムスン』以来、大ヒット作がなく思い悩んでおり 「これまで私がしたかったことだけしていたのではないか、ファン方が願うことをせずということだ」「私が満足する作品をすべきか、そうではなくファン方に満足を与えることができる作品をすべきか、このような原論的な苦悶に突入したのだ」、と語っている。そして「同じ(御曹司)という役割でも俳優として様々な経験を積んできた分、違う面が見せられるのではないか。『私の名前はキム・サンスン』以来、幸せなキャラクターを見せられておらず、明るいキャラクターをファンにお見せしたいと思い、ドラマ『シークレット・ガーデン』への出演を決断した」と述べている(2011/02/14 CINE21 Webインタビューより) 2010年11月より前述したSBSのテレビドラマ『シークレット・ガーデン』に主演し、財閥御曹司のデパート社長を好演。最高視聴率35%を記録するメガヒット作となる。この作品で第47回百想芸術大賞「TV部門大賞」を初受賞した。また、彼が歌った当ドラマのOST曲『その男』は2011年1月7日0時から公開1時間で主要なオンライン音楽チャートのトップを独占する大ヒットとなった。 2010年11月下旬より、MBC創立49周年特集ドキュメンタリー『アフリカの涙』(全5部作)のナレーションを務める。2部「サハラの黙示録」の録音時は体調不良の中、「点滴を打って録音に臨んで製作スタッフを感動させた」「その前日『シークレット・ガーデン』で水に飛び込むシーンを撮り、風邪をひどく患っていた。ナレーション中5分おきに鼻をかむほどだった」「体調が悪い中、我々のスケジュールに合わせようと努力した」と制作陣が明かした。 年明け2011年初には映画『レイトオータム』、映画『愛してる、愛していない』が韓国で相次いで開封。いずれも2月10日開幕の第61回ベルリン国際映画祭(英語版)に出品された。 人気絶頂の中、入隊の準備を進めた。入隊前には「20代は"俳優ヒョンビン"として生きたが、"人間ヒョンビン"としては生きなかった」「私個人のことに対しては無関心だった」「これから2年の間はだから徹底して自分自身を考えることができる時間が来たのだ」と語った。(2011/02/14 CINE21 Webインタビューより)
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