「オランダ領アンティル」の発足
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「オランダ領アンティル」の記事における「「オランダ領アンティル」の発足」の解説
第二次世界大戦中、オランダ本国はドイツの占領下に置かれ、王室と政府は亡命した。1942年の演説で、ウィルヘルミナ女王はオランダの海外領土に自治の拡大を約束した。また、キュラソー植民地の島々はオランダ政府の同意の下でアメリカ・イギリスによって占領されたが、このことは自治を求める声を高めることとなった。 1948年5月、キュラソー植民地のための新たな憲法が発布され、この領域の名称は「オランダ領アンティル」(以下、アンティル)に改められた。これによりアンティルには1922年のオランダの憲法 (Constitution of the Netherlands) が認める範囲内で最大の自治が認められることになった。普通選挙権が認められたのもこのときである。1948年にオランダの憲法は改正されるが、アンティルの暫定憲法は1951年2月に制定された。1951年3月3日、オランダ領アンティル島嶼法(Eilandenregeling Nederlandse Antillen、略称ERNA)が女王の裁可を受けて制定され、アンティルに含まれる島々に大きな自治が与えられた。この法はその後改定を繰り返しながら、2010年の解体まで存続することになる。 1954年12月15日、オランダ王国憲章が改正され、オランダ本国とギアナ、アンティルは、オランダ王国 (Kingdom of the Netherlands) を構成する対等のパートナーであるとされた。 オランダ王国オランダ本国 オランダ領アンティルキュラソー、アルバ、ボネール、シント・マールテン、シント・ユースタティウス、サバ オランダ領ギアナ - 1975年、スリナムとして完全独立 国連はこれによって非植民地化が完全なものになったとして、非自治地域リストからアンティルを外した。
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