オランダりょう‐アンティル〔‐リヤウ‐〕【オランダ領アンティル】
読み方:おらんだりょうあんてぃる
《Nederlandse Antillen》カリブ海の小アンティル諸島にあったオランダの自治領。ベネズエラ北西沖にあるキュラソー島・アルバ島・ボネール島、およびプエルトリコの東に位置するシントマールテン島南部・サバ島・シントユースタティウス島の6島により1954年に発足。首都はキュラソー島のウィレムスタッドに置かれた。1986年にアルバが分離、2010年にキュラソーとシントマールテンが分離し、解体。他の3島(BES諸島)は本国に編入された。
[補説] オランダ領アンティルを構成した6島は地理的に二つのグループに分かれ、このうちカリブ海南部のベネズエラ沖に連なるアルバ島・ボネール島・キュラソー島の3島はABC諸島、約800キロに離れたカリブ海北東部に位置するシントマールテン島・シントユースタティウス島・サバ島の3島はSSS諸島と総称される。また、オランダ領アンティル解体時に単独の自治領とならず、特別自治体としてオランダ本国に編入されたボネール島・シントユースタティウス島・サバ島の3島はBES諸島と総称される。
オランダ領アンティル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 06:24 UTC 版)
オランダ領アンティル(オランダりょうアンティル、オランダ語: Nederlandse Antillen [ˈneːdərlɑntsə ʔɑnˈtɪlə(n)] ( 音声ファイル)、パピアメント語: Antias Hulandes、英語: Netherlands Antilles)は、かつてカリブ海の小アンティル諸島にあってオランダ王国を構成していた自治領である。2地域に分かれて6つの島が属していたが、1986年にアルバが単独の自治領として分離。ほかの5島でも離脱を求める声が大きくなり、2010年に解体された。5島のうちキュラソー島とシント・マールテン島は単独の自治領となり、残る3島(BES諸島)はオランダ本国に編入された。
- 1 オランダ領アンティルとは
- 2 オランダ領アンティルの概要
- 3 地理
- 4 経済
オランダ領アンティル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/01 17:56 UTC 版)
「オランダによるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「オランダ領アンティル」の解説
カリブ海におけるオランダの植民地化は1620年代のセント・クロイ島で始まり、1628年のトバゴ島、1631年のトルトゥーガ島(現在のトルチュ島)とシント・マールテン島が続いた。シント・マールテン島に到着した直後に砦を建設したアンギラとシント・マールテン島をスペインのために失ったとき、キュラソー島とシント・ユースタティウス島に入植した。オランダは1648年にシント・マールテン島の半分を取り戻し、それ以来フランスと島を分け合うようになった。この島を分ける境界線は何度も修正され、1816年に設定されたものが有効になった。 オランダはその他幾つかの島を占領して、その後のスペインからの独立戦争の中でスペインからの攻撃を防ぐために要塞化し、木材や塩の資源を活用した キュラソー島、1634年 サバ島、1640年 シント・ユースタティウス島、1636年 ボネール島、1634年 アルバ、1637年 シント・マールテン島、1631年 トルトラ島、ヴァージン・ゴルダ島、ヨスト・ヴァン・ダイク島、1640年以前 19世紀に入るまで、現在はベネズエラに入るアベス島、アベス列島、ロス・ロケス列島およびラ・オルチラ島はオランダ政府がオランダ領西インドの一部と見なしていた。 オランダ領アンティルは現在でもオランダの海外領土であるが、1954年に自治を認めた。1986年アルバは他の諸島とは分離して自治を認められた。オランダ王国の中でのこれら諸島の状態は変遷しており、諸島間の結びつきが弱く、オランダとの結びつきが強化されている。
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