新たな延伸計画とその撤回
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:06 UTC 版)
「都営地下鉄三田線」の記事における「新たな延伸計画とその撤回」の解説
1972年(昭和47年)3月1日運輸大臣提出の都市交通審議会答申第15号において6号線の新たな延伸計画が立てられ、「桐ヶ谷方面-大和町(和光市)方面」が「大宮市西部…浦和市西部-戸田市西部-高島平-清正公前(現・白金高輪駅)…港北ニュータウン(横浜市)」に改められ、和光市駅-高島平駅間の東武高島平線計画は正式に撤回された。1971年に発表された当初の港北ニュータウン計画では、都営地下鉄6号線を西馬込から港北ニュータウンを経由して中山駅まで延伸する計画が盛り込まれていた。計画書には横浜市営4号線とともに東京6号線が鉄道計画の根幹をなしており、相当に具体的な駅の設置場所とともに東京6号線の延伸が必須であるという書き方がなされている。しかし1985年(昭和60年)7月11日の運輸政策審議会答申第7号において、この計画は目黒駅止まりとなり、東急目蒲線と相互乗り入れ(仮称・東急都心線、開業後の東急目黒線)を行うことが決まり、同時に三田線の港北ニュータウン延伸計画は撤回された。この決定を受けて、以前制定していたが事実上廃止となった「6号線直通車両規格」とは別の「相互直通運転における東急目黒線・南北線・三田線との直通車両申し合わせ事項」と称する新たな直通車両規格を、都交通局他2者において新たに制定した。 一方北側については、1976年(昭和51年)5月に開業した西高島平駅から北進し、荒川を橋梁で渡り、新大宮バイパスの上下線間にあった当時未開通の自動車専用道路予定地を活用して北上し、国鉄武蔵野線西浦和駅を通り、大宮市西部(現在のさいたま市西区)まで延伸するという計画が立てられた。しかし、都外への延伸は沿線自治体議会の理解を要することや、1985年9月30日の国鉄埼京線開業の影響もあり、上記の運輸政策審議会答申第7号でこの計画は削除され、1990年以降同ルートには首都高速5号池袋線の延伸区間と首都高速埼玉大宮線が順次開通した。
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