ズデーテン危機における陸軍のクーデター計画
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「ヒトラー暗殺計画」の記事における「ズデーテン危機における陸軍のクーデター計画」の解説
1938年5月、ドイツのチェコスロバキア攻撃計画が漏洩し、ヒトラーはズデーテン地方の割譲を要求した。情勢は緊迫し、チェコ、フランス、イギリスは動員を発令、ドイツでは陸軍参謀総長ルートヴィヒ・ベック陸軍上級大将が、ヒトラーの政策に反対して辞任。ヨーロッパに戦争勃発の危機が迫る。このような情勢下、反ヒトラーのクーデター・暗殺が計画された。元陸軍参謀総長ベック上級大将、その後任の陸軍参謀総長フランツ・ハルダー上級大将、国防軍情報部長ヴィルヘルム・カナリス海軍大将、同情報次長ハンス・オスター陸軍大佐、ベルリン地区防衛司令官エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン陸軍大将、装甲部隊司令官エーリヒ・ヘプナー陸軍中将、ベルリン警視総監ヴォルフ=ハインリヒ・フォン・ヘルドルフ警察大将、刑事警察本部長アルトゥール・ネーベ警察中将、元参事官のハンス・ベルント・ギゼヴィウス(de:Hans Bernd Gisevius)、国立銀行総裁ヒャルマル・シャハト、高等裁判所裁判官ハンス・フォン・ドホナーニ、外務省官房長エーリヒ・コルト(de:Erich Kordt)、元ライプツィヒ市長カール・ゲルデラー、牧師・神学者ディートリヒ・ボンヘッファーら多数の軍人、政治家、官僚、知識人、文化人らが関与していた。彼らのグループは、後にゲシュタポによって「黒いオーケストラ」の名で呼ばれるようになる。彼らは当初、ベルリンの総統官邸に乗り込んでヒトラーの退陣を迫り、それを拒否すればヒトラーの逮捕、そして裁判又は精神鑑定にかけるような計画も立てていたが、結局は暗殺という強硬手段に訴える事になった。しかし、ヒトラーはベック参謀総長辞任の公表を遅らせ、またイタリアの独裁者ムッソリーニの調停もあり、ミュンヘン会談でイギリス・フランス両国が譲歩。ズデーテン地方のドイツへの割譲を認めて戦争が回避され、クーデターは実行には至らなかった。こうしてヒトラーは政権獲得後、最も危険な暗殺の危機を免れた。
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