瀬尾栄太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/12 14:39 UTC 版)
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瀬尾栄太郎(せのお えいたろう)は、ロシアで活動した日本人である。
奉天の会社「松茂洋行」の支配人となり、ロシア内の鉄道線路南方[どこ?]で鉱物の試掘許可を受けて、試掘して成功し、本採掘を出願している[1]が、ロシア革命が起きると白軍であるグリゴリー・セミョーノフ軍の顧問となった[要検証 ][2]。1926年、国際探訪通信社を立ち上げ[3]、日本の機密費を受けて中国・ロシアの一般情報収集を行う[4]。 1932年には、国体擁護連合会の常務実行委員となっている[5]。1936年、二・二六事件の関係者となる[要検証 ][6]。
談話
- 極東西比利の将来 (瀬尾栄太郎談)[要検証 ][7]
出典
- ^ 極東露領鉱産物 神戸新聞 1917年12月28日
- ^ 『東亜先覚志士記伝』 黒龍会出版部 1933年〜1936年
- ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03040806000、本邦通信機関及通信員関係雑纂/通信機関ノ部(1-3-1-39_1_001)(外務省外交史料館)」 35.国際探訪通信社
- ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01003869100、昭和04年「密大日記」第3冊(防衛省防衛研究所)」 機密費使用に関する件
- ^ 協調会編昭和八年版労働年鑑 協調会 1933年12月23日
- ^ 『二・二六事件-研究資料』 松本清張, 藤井康栄 1993年
- ^ 『朝日新聞記事総覧〔大正編〕1』 日本図書センター 1985
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