陸行水行とは? わかりやすく解説

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陸行水行

作者松本清張

収載図書松本清張傑作総集 2
出版社新潮社
刊行年月1993.12

収載図書松本清張小説セレクション23黒い画集 3
出版社中央公論社
刊行年月1995.6

収載図書駅路 66改版
出版社新潮社
刊行年月2002.1
シリーズ名新潮文庫

収載図書偏狂者の系譜
出版社角川書店
刊行年月2007.3
シリーズ名角川文庫

収載図書松本清張自選短篇集
出版社リブリオ出版
刊行年月2007.4
シリーズ名大きな活字読みやすい

収載図書陸行水行―別冊黒い画集 2 新装版
出版社文藝春秋
刊行年月2007.8
シリーズ名文春文庫


陸行水行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 05:32 UTC 版)

陸行水行』(りっこうすいこう)は、松本清張短編小説。『週刊文春1963年11月25日号から1964年1月6日号まで、『別冊黒い画集』第5話として連載され、1964年9月に短編集『陸行水行-別冊黒い画集2』収録の一作として、文藝春秋新社(ポケット文春)より刊行された。

あらすじ

東京の某大学の歴史科の万年講師である私・川田修一は、大分県安心院にある妻垣神社の境内で、浜中浩三という郷土史家の男と出会い、名刺を交換する。浜中は『魏志倭人伝』の話題を切り出し、倭人伝の邪馬台国に至る道程の解釈に新説を唱え、伊都国不弥国の所在地について自説を語る。浜中の説を面白いと思った私は、駅館川の近くの洞窟遺蹟まで同行する。

一か月くらい経ったのち、地方紙に邪馬台国考の意見を募る浜中の広告が載った。さらに半年ばかり経った頃、私のもとに分厚い手紙が届き、論文出版の前渡金を浜中に払ったものの、その後音沙汰が無い、浜中は詐欺漢でしょうかと訴えた。さらに同様の問合せが、西日本一帯から続々と私に届く中、臼杵地方の女性から、浜中と会って意気投合した醤油屋の夫が「いっしょに邪馬台国を調べに行く」と言い残し、一か月半何の音信も無いと伝える手紙が届く。浜中らは、恰もの使いが歩いたように、自分の足でその距離感を確かめているのではないか。そして、不弥国からの「水行二十日」を実際に試みた二人の、不幸な報らせが届く。

エピソード

  • 著者は本作発表に先立つ1959年、『宝石』掲載の創作ノートに「『耶馬台国考』事件」「これはまだ捨てぬ」とメモを記している[1]。文芸評論家の平野謙は「おそらく著者が小倉から東京に移転した頃のメモで、昭和三十年前後のものではないか、と思われる。つまり、『陸行水行』の基礎をなす邪馬台国論争については、著者はすでに小倉在住時代から関心を持ち、それを基礎として小説を書く構想を抱いていた、と推定しても大した見当ちがいではないように思う」と述べている[2]
  • 著者は1976年に自作解説として「浜中と「私」とが邪馬台国問題で話し合っているところは、今でもそうだが、郷土史家にありがちな発想を紹介したつもりである」「安心院盆地は、私が戦前に初めて訪れて、その峠を越えた所に突然開けた風景の雄大さに驚いたのが印象となっている。小説の上で邪馬台国の探検に船で行こうという設定は、最近、角川書店主によって古代の船が作られ朝鮮海峡を渡る試みとどこか発想が似ていないでもない。もちろん、この小説は、論文として書かれたものでもなければ、私の邪馬台国論を小説化したものでもない。週刊誌の性質上、連載中はひどく難しい小説のように編集部でも渋い顔をしたが、本にまとまるとかなりの反響があった。そこでこういうものが私の邪馬台国論であると思われては困ると思い、その後二年にて『中央公論』に『古代史疑』を執筆した。いうならば私を古代史の論文執筆に走らせたのは、この短篇ということができる」と記している[3]
  • 日本近代文学研究者の小倉脩三は「この作品を成功させた要素の一つは確かに作者の並々ならぬ古代史への蘊蓄の深さである。しかし忘れてならないもう一面は、次第に明かされる浜中の正体 - 邪馬台国にとり憑かれた一人の人間の姿であろう。出世作「或る「小倉日記」伝」の田上耕作、あるいは「菊枕」の三岡ぬいに通ずる人間像である」と評している[4]
  • 詩人、文芸評論家の郷原宏は「古代史そのものをテーマにした作品は、フィクションとノンフィクションとを問わず、この『陸行水行』が最初である」と述べている[5]
  • タレントの上岡龍太郎は「僕を今日のような古代史好きの世界に引きずり込んだのは松本清張さんだし、のめり込むようになったキッカケはこの『陸行水行』でした」と述べている[6]
  • 著者は安心院を1942年に初めて訪れ、本作の舞台となる妻垣神社に立ち寄った。1982年には安心院に清張の文学碑が竣工された[7]

関連項目

脚注・出典

  1. ^ 「推理小説の発想/創作ノート」(『宝石』1959年1月号掲載、のちに『黒い手帖』(1961年、中央公論社)に収録)
  2. ^ 新潮文庫『駅路』(1965年7月)巻末の平野による解説
  3. ^ 著者による「私の推理小説作法」(『松本清張自選傑作短篇集』(1976年、読売新聞社)巻末収録)
  4. ^ 中島河太郎編「清張文学・作品事典」(『國文學』1978年6月号掲載)
  5. ^ 郷原宏「古代史の薪は二度燃え上がる -『陸行水行』の成立と展開」(『松本清張研究』第六号(2005年、北九州市立松本清張記念館)収録)
  6. ^ 「アンケート大特集 私の好きな清張作品 -この一作」(『文藝春秋』1992年10月臨時増刊号「松本清張の世界」収録)
  7. ^ 松本清張と妻垣神社”. 妻垣神社. 2023年5月20日閲覧。

外部リンク



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