作品自体について
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『万葉翡翠』は、『万葉集』巻十三の3247の解釈をめぐって「沼名河」と「玉」を求める探索がやがて殺人事件につながっていく展開を見せる。副題の「-求めて得まし玉かも-」は万葉集巻十三の3247からの引用である。 作品自体の評価は「古代史ミステリーの秀作」、「作者の実力のほどを示した作」という高いものから、「まあまあ」、「トリックは推理小説としては月並み」というものまでさまざまである。 阿刀田高は『松本清張小説セレクション 第24巻 影の車』巻末の編集エッセイで、前半にあたる翡翠産地について万葉集を手がかりに推理を進めていく部分が「抜群におもしろい」と称賛しながらも「それに比べると、ミステリーの部分は月並である。(中略)少し書き急いだところがあって推理小説としてはたあいない印象がなきにしもあらず」と評した。阿刀田は小説の作法として学識の部分と推理小説の部分が上手く溶け合っていない点を指摘し、「一つの鍋に二つの料理が入っているような違和感」と表現した。阿刀田は2009年の自著『松本清張を推理する』でも『万葉翡翠』について「前半の学術的推論が入念なわりには後半のミステリーは(中略)ややそそくさと綴られているような気配がなくもない」と記述している。 岩見幸恵は『松本清張事典』(1998年)で既述のとおり「トリックは推理小説としては月並み」と評した。それに続けて「背後に古代史や文学を用いている点がこの作品の奥行きを広くしている」と指摘した。 平野謙は短編集『駅路』の解説(1965年7月)において『万葉翡翠』を『陸行水行』とともに「いわゆるベッド・ディティクティヴの一種」と分類した。平野は「著者の無私な学問好きの一面をあらわした作風といえよう」と記述した上で、「二作ともベッド・ディティクティヴの一面を持ちながら、しかし、それをこえるものがある」として清張が書く推理小説の「多彩なおもしろさ」として評価した。
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