作品自体の問題有無と再公開に対するコメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:22 UTC 版)
「スペル星人」の記事における「作品自体の問題有無と再公開に対するコメント」の解説
当時の抗議はカードに対して行ったと主張した中島であったが、第12話の作品そのものについても実際の作品を鑑賞した上で、「監督さんが人間の形をした怪獣を作っちゃったというのは引っかかりましたね」「あれがゴジラみたいにね、動物的だったら問題はまったく起きないですよ」「被爆者に対する認識が確立していなかったということは、はっきり言えます」「作品そのものに問題がなければ、2次利用の商品が問題になるわけはないんだから」「ケロイドの形状がひっかかる。血を吸うという表現も気になる」などのコメントを残している。 一方で「少し修正することで再公開できるなら」「円谷がそう言ったことを理解して、第12話のニュープリント(修正版)を貸し出しては」などの対策案を提示した佐々木に対し、中島は「オリジナルで残さないと意味がない リアリティの問題は残るが封印はよくない」「血の問題も触れてほしくないと感じる人はいても理解する人もいるので議論する余地はある」などの前向きなコメントも残している。 2005年のFLASHの取材に対し、原水爆禁止日本国民会議は「いま実際の番組をみても特に問題があるとは思わないが、被爆者自身が見てどう思うかが重要。今後経緯を説明した上で公開することは可能だと思う」、原水爆禁止日本協議会は「番組を確認していない」という前提で「被爆者を冒涜するようなことは許してはならない」などのコメントをよせた。 長崎市への原子爆弾投下で、爆心地から1.4km地点で被爆し、奇跡的に生存した作家の林京子は、1975年上半期の芥川賞受賞作「祭りの場」の中で、1970年10月10日の朝日新聞該当記事を取り上げ、〈人間の格好をした「スペル星人」が「ひばくせい人」で全身にケロイド状の模様が描いてある〉ことに触れ、当時の抗議活動に対し、〈原爆には感傷はいらない〉〈これはこれでいい。漫画であれピエロであれ誰かが何かを感じてくれる。三〇年経ったいま原爆をありのままに伝えるのはむずかしくなっている〉〈漫画だろうと何であろうと被爆者の痛みを伝えるものなら、それでいい。A課の塀からのぞいた原っぱの惨状は、漫画怪獣の群だった。被爆者は肉のつららを全身にたれさげて、原っぱに立っていた〉と書いている。 第12話復活を度々訴えてきたひし美ゆり子は初放送50周年となる2017年10月、ハフポスト安藤健二のインタビューにおいて、「原水爆は良くないとのメッセージを込めた作品なのに、なぜ50年近くも封印されなければならないのか」「12話は決して悪いものではないのに誤解されており」「私の目の黒いうちに絶対復活して欲しい」と述べている。福島第一原発事故への言及に対し「だから第12話こそ絶対に風化させてはいけない」「監督実相寺、脚本佐々木さんら、作品を作る人たちはそのつもりで作ったわけで」「それを逆の意味で捉えられると悔しい」としている。 安藤は「シリアスな設定は子供向けの商品としては不向きだったかもしれない」としつつ、「円谷プロは第12話に込めた思いや当時の抗議の背景を説明した上で、映像資料として公開する」という方法により、「作品を残しながら議論を深めることが可能になるはず」で、「一部の海賊版を除いて映像が見られない現状では、スペル星人に本当に問題があったのか議論することができない」として、円谷プロによる第12話解禁への期待を示している。
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