旅情と歴史と
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清張の作品では、旅情が重要な位置を占める。清張は幼少時から旅に憧れ、作家として身を立てる前から多くの旅に出ていた。そのすべてが必ずしも楽しい旅ばかりではなく、十代の終わりごろの旅は、死ぬことを強く意識した旅であったという。幼少時からの旅への憧れは晩年まで続き、彼の作品世界における魅力の1つとなった。 清張の登場以前は、推理小説における旅情はほとんど注目されなかった。第二次世界大戦前、「探偵小説」と呼ばれていた時期では蒼井雄『船富家の惨劇』や赤沼三郎『悪魔の黙示録』、第二次世界大戦後の鮎川哲也『黒いトランク』などの作品があったものの、豊かな旅情を描写した作品は数少なかった。 推理小説に旅情を取り入れたのは、清張が旅行雑誌「旅」に1957年2月号から1958年1月号に連載した長編推理小説『点と線』がその嚆矢とされる。清張にとって初のミステリー長編小説でもあったこの作品はベストセラーとなって、その後の作品の方向性に影響を与えた。その後2年ほどの間に、『ゼロの焦点』(能登半島)、『蒼い描点』(箱根)、『影の地帯』(信濃路)、『波の塔』(富士の樹海)、『球形の荒野』(奈良)、『砂の器』(出雲)などの諸作品で旅の描写が盛り込まれ、作品における旅情が重要な位置を占めるようになっていた。 他に重要な要素として挙げられるのは、古代史を始めとする歴史に対する興味である。清張が多岐にわたる分野で知識を有していたことはよく知られているが、その中でも考古学や日本史の領域には奥深いものがあった。清張は専門家の領域にも自らの視点で探求して深く入り込み、そのようにして蓄積された知識を自分の作品に生かそうとした。 清張は作品に知識を生かす方法として、歴史に対する論評として真正面から取り組むケース(『古代史疑』など)と、ミステリーに絡めて作品としたケースの双方を試みている。後者の例としては、邪馬台国論争と『魏志倭人伝』に題材を得た『陸行水行(りくこうすいこう)』(1963年)とこの『万葉翡翠』が挙げられる。 清張は日本産翡翠の再発見に想を得て、『万葉翡翠』を執筆した。清張自身はこの『万葉翡翠』について、エッセイ『推理小説の発想』で「万葉集もまた推理小説になりうる」と前置きした上で次のように記述している。 普通、こういう古歌や俳句などはその字句を暗号的に推理小説に使われることはあったが、歌意そのものを解明して先学の解釈を打破した学説を応用した、推理小説も一つの分野と言えよう。万葉集巻十三にある「渟名河の 底なる玉 求めて 得まし玉かも。拾ひて 得まし玉かも。惜しいあたらき 君が 老ゆらく惜しも。」の異説を使って殺人事件を書いたのが『万葉翡翠』である。 — 『推理小説の発想』 『万葉翡翠』は、作者である清張自身も好んでいた短編であった。『松本清張短篇総集』(1963年4月10日講談社発行、1971年4月28日復刊第1刷発行)所収の『書いたころ』という短文で「この一篇が好きなのでこれに集録した」と言及し、「国学院大の樋口清之教授から教えられるところが多かった」と謝辞を述べた。清張の作品では、1963年に発表された『たづたづし』も万葉集をモチーフとして扱っている。
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