鮎川哲也とは? わかりやすく解説

あゆかわ‐てつや〔あゆかは‐〕【鮎川哲也】

読み方:あゆかわてつや

19192002推理作家東京生まれ本名中川透。本名のほか那珂川(なかがわ)透などの名義作品発表昭和31年(1956)「黒いトランク」から現筆名使用する。他に「黒い白鳥」「憎悪化石」など。

[補説] 平成2年1990)、東京創元社主催で、長編推理小説新人賞である鮎川哲也賞創設された。


鮎川哲也(あゆかわ・てつや)

本名中川透。1919年(大8)、東京生まれ小学生のときに満州に渡る。敗戦後栄養失調から肺を病み療養中探偵小説執筆思い立った。別名青久利
1943年(昭18)頃、佐々木淳子名義で、「婦人画報」の朗読文学募集で「ポロさん」が一席入選
1948年(昭23)、那珂川名義で、「月魄」を「ロック」に発表
1948年(昭23)、薔薇小路麿名義で「ロック第一回懸賞探偵小説次点に「」が入選同時に高木彬光の「白雪姫」が選外佳作になっている
1949年(昭24)、中川淳一名義で「地虫」を「宝石百万懸賞短編部門入選し、「宝石」に掲載
1950年(昭25)、中川名義で「宝石百万懸賞長編部門に「ペトロフ事件」が二席入選し、「宝石」に掲載。しかし、「宝石」の経営環境悪化にともなう懸賞金不払いトラブルをおこし、鮎川哲也は同誌と一時疎遠になる。「ペトロフ事件」は1943年(昭18)頃にクロフツの「ポンスン事件」に触発され、いったん書き上げられたが、原稿紛失してしまっため、再度記憶辿って書かれたもの。この作品は、1951年(昭26)には第4回日本探偵作家クラブ賞長編賞候補となった
1953年(昭28)、同人誌密室」に中川透、宇多川蘭子名義で「呪縛再現」を発表
1954年(昭29)、Qカムバアグリーン名義で「山荘一夜」を「探偵実話」に発表
1954年(昭29)に中川名義で「探偵実話」に発表した「赤い密室」が、1955年(昭30)の第8回日本探偵作家クラブ賞最有力候補となったが、高木彬光手を入れているという事無根の噂を流し受賞逸する。この作品日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1956年(昭31)、書下し長編探偵小説全集新人募集懸賞である“13番目の椅子”を射止めた「」刊行の際、鮎川哲也にペンネーム改める。「黒いトランク」は横溝正史の「蝶々殺人事件」に挑戦した作品だという。この作品1957年(昭32)、が第10回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。日本屈指の名作として名高い
1956年(昭31)に「動向」に発表した「青いエチュード」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1957年(昭32)、NHKテレビ番組私だけが知っている」の脚本山村正夫笹沢左保土屋隆夫夏樹静子藤村正太とともに執筆
1957年(昭32)、「りら荘事件」を「探偵実話」に発表
1957年(昭32)に「宝石」に発表した五つ時計」が 1958年(昭33)、第11回日本探偵作家クラブ賞候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年度版」に収録される。
1958年(昭33)に「宝石」に発表した「白い密室」が、1959年(昭34)に第12回日本探偵作家クラブ賞候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1959年(昭34)に「オール読物」に発表した金魚寝言」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1959年(昭34)に「宝石」に連載した「黒い白鳥」と、同年書下しの「憎悪化石」で、1960年(昭35)の第13回日本探偵作家クラブ賞受賞
1960年(昭35)に「宝石」に発表した急行出雲」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)に「週刊文春」に発表した「人はそれを情死と呼ぶ」は「ヒッチコックマガジン」の1961年ベストで5位に選ばれている。
1961年(昭36)に「小説新潮」に発表した「ああ世は夢か」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)に「小説中央公論」に発表した下りはつかり」」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)に「オール読物」に発表した「わるい風」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)、芦川澄子結婚するが、1967年(昭42)に離婚。のち、復縁
1965年(昭40)に「推理ストーリー」に発表した「死が二人別つまで」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1970年(昭45)に「小説現代」に発表した水難の相あり」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1972年(昭47)に「小説宝石」に発表した竜王氏の不吉な旅」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1973年(昭48)に「小説宝石」に発表した中国屏風」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1975年(昭50)に「問題小説」に発表した割れた電球」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1976年版」に収録される。
1976年(昭51)に「問題小説」に発表した相似部屋」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1977年版」に収録される。
1979年(昭54)、「沈黙の函」が「週刊文春」の79年傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる
1980年(昭55)に「瑠伯」に発表したマーキュリーの靴」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1982年(昭57)に「問題小説」に発表した「塔の女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1983年(昭58)に「小説宝石」に発表した秋色軽井沢」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1984年(昭59)、「週刊新潮」に発表した「死びとの座」が「週刊文春」の84年傑作ミステリーベスト10」の7位に選ばれる
1985年(昭60)に「小説宝石」に発表した材木座殺人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1986年版」に収録される。
1975年(昭50)から「幻影城」に掲載し休刊とともに中絶した探偵作家尋訪記」が、1985年(昭60)に「幻の探偵作家求めて」として刊行
1997年(平)に編んだアンソロジー硝子の家」が探偵小説研究会の「本格ミステリベスト10」の7位に選ばれる2001年(平13)、第1回本格ミステリ大賞特別賞受賞
2002年(平14)、多臓器不全死去予告されていた「白樺荘事件」は途中まで書かれていたと噂されているが、ついに未刊
2002年(平14)、日本ミステリー文学大賞特別賞受賞
アリバイ崩し密室などを得意とする本格派また、数々アンソロジー編み埋もれた探偵小説発掘にも熱心。新本格派の生みの親のひとり。



鮎川哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/10 03:23 UTC 版)

(あゆかわ てつや、1919年2月14日 - 2002年9月24日)は、日本小説家。本名、(なかがわとおる)。東京府に生まれ、大連に育つ。拓殖大学商学部卒。


  1. ^ 『宝石』の発行元である岩谷書店の経営不振により賞金の支払いは棚上げされた。しかし鮎川は当時結核の治療費の支払いに窮していたため、頑強に賞金を請求。このことが岩谷満社長の怒りを買い、鮎川はその後長きにわたって『宝石』から締め出された(山村正夫『推理文壇戦後史』による[要ページ番号])。
  2. ^ 鮎川は「この作品で受賞できなければ首を括ろうと思っていた」という(有栖川有栖『有栖の乱読』による[要ページ番号])。
  3. ^ a b 「全集」と銘打っているが、実際には(刊行時までに発表された)全作品を収録しているわけではない。巻末に作者による「創作ノート」を収録。
  4. ^ 「ペトロフ事件」(立風書房 1975)[要ページ番号]解説など[要説明]
  5. ^ 創元推理文庫版では、「竜王氏の不吉な旅」を追加収録


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