倒叙
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青いエチュード 1956 - 最初の倒叙もの短編。数度にわたり映像化。 首 1976 - テレビドラマ「チェックメイト78」の一作として映像化。
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倒叙
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北の女 1966 - テレビドラマ「チェックメイト78」の一作として映像化。 小さな孔 1968 - 同上。 蟻 1968 - 同上。 わらべは見たり 1971 - 同上。
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倒叙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:09 UTC 版)
通常の推理小説では、まず犯行の結果のみが描かれ、探偵役の捜査によって犯人とトリックを明らかにしていく。しかし倒叙形式では、初めに犯人を主軸に描写がなされ、読者は犯人と犯行過程がわかった上で物語が展開される。その上で、探偵役がどのようにして犯行を見抜くのか、どのようにして犯人を追い詰めるのかが物語の主旨となる。また、犯人の心理を描く時間が多く取れることで、一般的に尺が短くなりがちな動機の描写(通常は解決編の自白のみ)において、なぜ犯行に至ったのかという点を強く描写することが可能であり、犯罪心理小説で多く使われる。 隠匿に手を尽くす犯人側と推理を巡らす探偵側の視点を交互に描くことで頭脳戦を強調した作品や、終始犯人側の視点で進み、最初は犯罪心理、逮捕されてからは警察もの、裁判が始まると法廷ものとジャンルが変わっていく作品もある。 「どの時点で犯人が失敗したかを推理する小説」としても読めるため、犯人側の視点の描写を工夫する(犯行直後に物語が開始など)ことで読者と探偵役が得られる手がかりを公平とし、探偵役との推理合戦を疑似体験できるようにした作品もある。 英語ではinverted detective story(逆さまの推理小説の意)、howcatchem(how catch them:どうやって彼(ら)を捕まえるかの意)と呼ばれる。日本でも後述の『歌う白骨』が発表された黎明期には、馬場孤蝶が「逆の探偵小説」という言葉を使っていたと江戸川乱歩は回顧している。また、倒叙のうち、犯人は示されるがそのトリックや動機などが最後まで明かされないものを「半倒叙」と呼ぶことがある。 オースティン・フリーマンの短編集『歌う白骨』(1912年)でこの手法が初めて用いられた。ただし、ポーも倒叙ミステリとしても読める『黒猫』(1843年)や『告げ口心臓』(1843年)を著しており、ドストエフスキーの『罪と罰』(1866年)も、この形式に類する。推理小説そのものの歴史と同様に、その最初をどこに置くかについては諸説ある。1920年代から1930年代に全盛期を迎え、なかでもフランシス・アイルズ(アントニー・バークリー)の『殺意』(1931年)、F・W・クロフツの『クロイドン発12時30分』(1934年)、リチャード・ハルの『伯母殺人事件』(1934年)は倒叙三大名作と呼ばれた。日本では乱歩が1925年に明智小五郎シリーズの2作目として短編『心理試験』を書いており、また乱歩は後に小論「倒叙探偵小説再説」(1949年)において倒叙作品の代表作に、上記三大作品以外ではイーデン・フィルポッツの『極悪人の肖像』を挙げている。 映像作品では「大物俳優に犯人役を演じさせたくても、下手をすれば配役だけで犯人がわかってしまうので、目立たないように複数の容疑者役も大物で固める」という予算的に難しい配役や、「演技への影響を抑えるため(真相が明らかになる)最終回まで犯人が誰かを俳優達に明らかにしないことで、犯人とされた役の演技が最終回とそれ以前とで矛盾が生じる」というジレンマを解消できるため、毎回異なる犯人が必要となる連続テレビドラマで多く使われる。特に『刑事コロンボシリーズ』や『古畑任三郎シリーズ』は、大物俳優が犯人役としてゲスト出演することもあり人気シリーズとなった。
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