せい‐そく‐り【性即理】
せいそくり 【性即理】
性即理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 15:55 UTC 版)
性即理(せいそくり)は、「性」(人間の持って生まれた本性)がすなわち「天理」であるとする説。宋明理学の命題の一つ。中国北宋の程頤(伊川)によって提言され、南宋の朱熹に継承された、朱子学の重要なテーゼである。
朱熹は存在論として理気二元論を主張する。「理」とは天地万物を主宰する法則性であり、「気」とは万物を構成する要素である。理とは形而上のもの、気は形而下のものであって、まったく別の二物であるが、たがいに単独で存在することができず、両者は「不離不雑」の関係であるとする。また、気が運動性をもち、理は理法であり 気の運動に乗って秩序を与えるとする。
そしてこのような存在論的な「理」は人間の倫理道徳にも貫かれている。「理」は「性」である。この場合「性」は孟子の性善説に基づき善とされる。人間の本来性(理)は善であるが、現実の存在(気)においては善を行ったり、悪を行ったりする。そこで儒者は「居敬」や静坐を行ったり、「格物」や読書によって、その本来性(理)に立ち戻り、「理」を体得しなければならない。朱子学では「聖人学んで至るべし」と学問の究極的な目標は「理」を体得し「聖人」となることとされた。
関連項目
性即理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 01:04 UTC 版)
「性即理」および「性善説」も参照 朱子学において最も重点があるのが、倫理学・人間学であり、「性即理」はその基礎である。「性」がすなわち「理」に他ならず、人間の性が本来的には天理に従う「善」なるものである(性善説)という考え方である。 島田虔次は、性と理に関する諸概念を以下のように整理している。 体 - 理 - 形而上 - 道 - 未発 - 中 - 静 - 性 用 - 気 - 形而下 - 器 - 已発 - 和 - 動 - 情 「性」は、仁・義・礼・智・信の五常であるが、これは喜怒哀楽の「情」が発動する前の未発の状態である。これは気質の干渉を受けない純粋至善のものであり、ここに道徳の根拠が置かれるのである。一方、「情」は必ず悪いものというわけではないが、気質の干渉を受けた動的状態であり、中正を失い悪に流れる傾向をもつ。ここで、人欲(気質の性)に流れず、天理(本然の性)に従い、過不及のない「中」の状態を維持することを目標とする。
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