北宋の儒学者
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宋学の最初の大師は周敦頤であり、彼は『太極図』『太極図説』を著し、万物の生成を『易経』や陰陽五行思想に基づいて解説した。これは、朱熹の「理」の理論の形成に大きな影響を与えた。更に、彼の『通書』には、宋学全体のモチーフとなる「聖人学んで至るべし」(聖人は学ぶことによってなりうる)の原型が提示されている。学習によって聖人に到達可能であるとする考え方は『孟子』を引き継いだものであり、自分が身を修めて聖人に近づくということだけでなく、他者を聖人に導くという方向性を含んでいた。これも後に程頤・朱熹に継承される。 同じく朱熹に大きな影響を与えた学者として、「二程子」と称される程顥・程頤兄弟が挙げられる。程顥は、万物一体の仁・良知良能の思想を説き、やや後世の陽明学的な面も見られる。一方、程頤は、仁と愛の関係の再定義を通して、体と用の峻別を説き、「性即理」を主張するなど、朱熹に決定的な影響を与える学説を唱えた。更に、程頤は学問の重要な方法として「窮理(理の知的な追求)」と「居敬(専一集中の状態に維持すること)」を説いており、これも後に朱子学の大きな柱となった。 また、「気の哲学」を説いた張載も朱熹に大きな影響を与えた。彼は「太虚」たる宇宙は、気の自己運動から生ずるものであり、そして気が調和を保ったところに「道」が現れると考えた。かつて、唯物史観が主流の時代には、中国の学界では程顥・朱熹の「性即理」を客観唯心論、陸象山・王陽明の「心即理」を主観唯心論、張載と後に彼の思想を継承した王夫之の「気」の哲学を唯物論とし、張載の思想は高く評価された。
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