北宋以降の崖州とは? わかりやすく解説

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北宋以降の崖州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 08:24 UTC 版)

崖州 (海南省)」の記事における「北宋以降の崖州」の解説

622年武徳5年)、唐により設置され振州前身とする。当時は寧遠・延徳臨川陵水の4県を管轄し、州治は寧遠県とされた。724年天宝元年)、振州延徳郡改称された。758年乾元元年)、延徳郡振州改称された。振州嶺南道属し、寧遠・延徳吉陽臨川・落屯の5県を管轄した。 五代十国時代には南漢版図とされ、振州寧遠県及び吉陽県の2県を管轄した。 972年開宝5年)、北宋により振州崖州改称された。1073年熙寧6年)には瓊州に瓊管安撫司が設置され海南島全域管轄するうになると、崖州珠崖軍降格し管轄県は瓊管安撫司に移管された。1117年政和7年)、珠崖軍吉陽軍改称1136年紹興6年)には吉陽軍吉陽県に降格し瓊州管轄とされた。 1368年洪武元年)、明代崖州を再設置清末になると1905年光緒31年)に直隷州昇格感恩・昌化・陵水の4県を管轄した。 1912年民国元年)、中華民国は州制を廃止し崖州崖県とされた。1984年5月崖県三亜市改編された。

※この「北宋以降の崖州」の解説は、「崖州 (海南省)」の解説の一部です。
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