北宋後期の文人画家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)
文同(1018 - 1079年)北宋の文人画家。梓州永泰(四川)の人。湖州(浙江呉興)の太守という地位にあった。もっぱら墨竹画を描いた。 蘇軾(1036 - 1101年)は北宋後期の政治家、書家、詩人。四川眉山の人。字は子瞻(しせん)、東坡居士と号した。絵画は余技で、古木竹石などを描いた。 米芾(1051 - 1107年)は、北宋後期の文人。山西太原の人。字は元章で、海嶽外史、襄陽漫士、鹿門居士などと号した。徽宗に仕え、書画学博士であった。画家、書家、収集家、鑑識家として知られる。画家としては、子の米友仁とともに「米法山水」(楕円形の点描が特色)の創始者とされている。ただし、米芾の書作品は真筆が残るが、絵画作品については確実な遺品はない。 米友仁(1086 - 1165年)は米芾の子で、字は元暉(げんき)、懶拙老人(らんせつろうじん)と号した。太原の出身だが襄陽、のち潤州(江蘇鎮江)に移り住んだ。父の米芾と異なり、専門画家に近い存在であった。作品は『雲山図巻』など数点がある。
※この「北宋後期の文人画家」の解説は、「中国の絵画」の解説の一部です。
「北宋後期の文人画家」を含む「中国の絵画」の記事については、「中国の絵画」の概要を参照ください。
- 北宋後期の文人画家のページへのリンク