べい‐ゆうじん〔‐イウジン〕【米友仁】
米友仁
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米 友仁(べい ゆうじん、1074年[2] - 1153年)は、北宋末・南宋初の書家・画家・官僚。幼名は寅哥。字は元暉(げんき)[3]。号は海嶽後人(かいがくこうじん)[4]、晩年は懶拙老人(らんせつろうじん)と号した。潤州(現在の江蘇省鎮江市)の人。父の米芾を大米、友仁は小米と称される。
- ^ “南宋 米友仁 雲山圖卷 Cloudy Mountains, before 1200”. メトロポリタン美術館. 2019年7月1日閲覧。
- ^ 寅哥という幼名から寅年だと推定した場合。
- ^ 元暉の号は黄庭堅から贈られたもの。
- ^ 海嶽は父米芾の号。
- ^ 王凱 『中国絵画の源流』(第1刷版) 秀作社出版株式会社、2014年6月、85-86頁。ISBN 9784882655428。
- 1 米友仁とは
- 2 米友仁の概要
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