米友仁とは? わかりやすく解説

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べい‐ゆうじん〔‐イウジン〕【米友仁】

読み方:べいゆうじん

[1072〜1151]中国北宋末・南宋初の画家書家。襄陽(じょうよう)(湖北省)の人。字(あざな)は元暉(げんき)。号、懶拙道人(らんせつどうじん)など。父米芾(べいふつ)を大米というのに対し小米称され、父の山水画法を受け継ぎ発展させた。


米友仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 00:35 UTC 版)

米 友仁(べい ゆうじん、1074年[2] - 1153年)は、北宋末・南宋初の書家画家官僚。幼名は寅哥。は元暉(げんき)[3]は海嶽後人(かいがくこうじん)[4]、晩年は懶拙老人(らんせつろうじん)と号した。潤州(現在の江蘇省鎮江市)の人。父の米芾を大米、友仁は小米と称される。


  1. ^ 南宋 米友仁 雲山圖卷 Cloudy Mountains, before 1200”. メトロポリタン美術館. 2019年7月1日閲覧。
  2. ^ 寅哥という幼名から寅年だと推定した場合。
  3. ^ 元暉の号は黄庭堅から贈られたもの。
  4. ^ 海嶽は父米芾の号。
  5. ^ 王凱 『中国絵画の源流』(第1刷版) 秀作社出版株式会社、2014年6月、85-86頁。ISBN 9784882655428 


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