直隷州とは? わかりやすく解説

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直隷州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 15:20 UTC 版)

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直隷州(ちょくれいしゅう)は、中国明代清代の行政区画のひとつ。

明代

明の行政区画制度では、と同級であり、省(承宣布政使司)の管轄下にあった。直隷州と府はいずれもを管轄下においていたが、明の府は「散州」も管轄下にしていた(これは元代の制度を引き継いだものである)。そのため、明代の地方行政制度が「三級制」なのか「四級制」なのかは議論の余地がある。

清代

清の行政区画制度では、直隷州は省の下にあり、府と直隷庁と同格であった。官位階級についていえば、直隷州は府のランクに近く、その知州、州同、州判などの官吏の品級も府官に近い。府と直隷州は県を管轄しているが、直隷庁は県を管轄していないことが多い。

清の規定では、直隷州・散州の州衙(役所)の所在地自体は州の直轄地であり、県は置かれなかった。ただし、隣接する県を管轄することができた。

たとえば、清の雍正11年(1733年)には広東省潮州府程郷県が嘉応直隷州に昇格した。その際、既存の程郷県は撤廃されて、州衙の直轄地となった。そして長楽県(現在の五華県)、興寧県平遠県、鎮平県(現在の蕉嶺県)は嘉応州の管轄下となった。これは清朝の内地十八省の他の直隷州も同様であった。

清の直隷州は「(州名+)直隷州」(散州と区別するため)とも呼ばれたが、「(州名+)州」とも呼ばれた。

1912年に直隷州制度が廃止されると、原則として州の直轄地には新たに県が必要になった。一般的には「州」の字をそのまま「県」に直して新県とした。前述の嘉応州の場合、1911年の辛亥革命に続いて梅州を復活させ、1912年に州直轄地をあらためて梅県に変えた。

雍正年間の後、清の内地の地方行政区の階層構造は次のような物だった。  

 
 
 
 
 
 
 
 
布政使司
(省・行省)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(正式な行政区画ではない)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
直隷州
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
直隷庁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
散州
 
 
散庁
 


関連項目

参考文献

  • 孫文良, 中国官制史, 1993年, 台北, 文津出版社。



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