北宋と金の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 08:48 UTC 版)
太祖完顔阿骨打は遼の天祚帝の追撃中に病没したが、後を継いだ弟の太宗完顔呉乞買は1126年開封攻囲戦で一度宋を下すも宋は金に対して防衛を整えたので、1127年に北宋征服を目的とする軍事行動を開始した。1127年開封攻囲戦で宋は数十日持ちこたえたものの開封は陥落し、徽宗・欽宗は捕えられ(靖康の変)、宋に代わって中原には親金派の宰相の張邦昌に即位を強いて傀儡国の大楚を建国させた。しかし張邦昌は宋への帰順の意志を示し、欽宗の弟にあたる趙構の擁立に動いた。そして趙構らは南宋を建国し、都を臨安(現在の杭州市)に定めた(宋の南遷)。
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