張邦昌
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張 邦昌(ちょう ほうしょう)は、北宋末・南宋初期の政治家。字は子能。永静軍東光県張家湾(現在の河北省衡水市阜城県碼頭鎮大龍湾)の人。一時、金朝が建てた傀儡国家楚の皇帝に擬せられた[注釈 2]。
注釈
- ^ 『宋史』巻24, 高宗紀一 建炎元年九月壬子条「命湖南撫諭官馬伸持詔賜張邦昌死於潭州、並誅王時雍」
- ^ 楚は不人気な政権で金軍が北に去るとすぐに瓦解した[1]。
- ^ 靖康元年(1126年)、趙構は自身を使節(実は人質)に送るよう兄の欽宗に申し出た。同年冬、再び出使した。結果的に靖康の変の際、趙構は開封を離れていたためかえって難を逃れた。趙構はしかし、父(徽宗)も兄(欽宗)も生きている以上、皇帝として即位するわけにはいかないと当初は固辞し、張邦昌のやり方にも批判的であった[4]。張邦昌は皇后を廃されて尼僧となり宮中に住んでいた孟氏による垂簾聴政によって群臣を集めた[1][4]。彼女もまた、皇籍を離れていたために、金軍が宋の一族をことごとく連れ去ったとき、取り残されて助かったのであった[1]。元祐皇后のもとに集まった群臣は趙構に帝位に就くことをこぞって要請した[1][4]。これにより、ようやく趙構が宋の皇帝として即位した[1][4]。
出典
- ^ a b c d e f g 宮崎(2015)pp.86-89
- ^ a b 佐伯(1975)pp.280-281
- ^ a b 梅村(2008)pp.420-423
- ^ a b c d 佐伯(1975)pp.281-283
張邦昌
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「張邦昌」の解説
(楊令伝)王黼亡き後の宋の宰相。勤皇の思いを胸に、劉光世に事態の収拾を依頼する。後に呉乞買の命で金の傀儡国家楚の皇帝となり、宗沢らと敵対する。南宋の再興、宋禁軍残党の軍閥化など周囲の強い圧力に耐え切れず一ヶ月程で楚を投げ出し南宋に脱出し、李綱の方針により処刑された。史実では呉乞買ではなく撻懶の河北直接統治方針に反対した粘没渇の方針により擁立された。
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