李春燕 (宋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 09:18 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動李 春燕(り しゅんえん、1106年[1] - ?)は、北宋の徽宗の側室。
生涯
北宋で華国靖恭夫人の位を授けられた。靖康の変後、金は傀儡として張邦昌を「大楚皇帝」に擁立し、李春燕を「皇后」として与えた。初め、張邦昌は李春燕や共に与えられた10人の「妃嬪」(いずれも徽宗の侍女)から距離を置いていたが、李春燕が自ら積極的に迫って、飲酒後に夜伽した。李春燕の義女の陳氏も張邦昌に献じられた。
その後すぐさま、張邦昌は帝位を放棄して高宗の擁立に動き、李春燕とは別れた。失望した李春燕は高宗を罵った。南宋が成った後、高宗は張邦昌を自殺させ、李春燕は杖刑に処した後に兵卒と結婚させた。
伝記資料
- 『靖康稗史箋證』
- 『建炎以来朝野雑記』
脚注
- ^ 『開封府状』によれば「華国靖恭夫人二十一歳。名春燕。」
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