張遼に関する言説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:07 UTC 版)
張遼は、その名将振りから魏将の中でも極めて人気が高い武将の一人である。清末民国初の文学者古直は『曹子建詩箋』において、曹植の楽府「白馬篇」に詠われる武者の姿は、207年の烏桓討伐時の張遼をモデルにしているのではないかと推測している。 また『蒙求』には「張遼止啼」という標題があり、張遼の武勇は江東にも広く轟いたので、江東の子供が泣き止まない時も「遼来遼来(張遼が来るぞ)」と言えば必ず泣き止んだ、という逸話が紹介されている。また『泣く子も黙る』という言葉の由来とも言われる。
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