王黼とは? わかりやすく解説

王黼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/13 17:15 UTC 版)

王 黼(おう ほ、1079年 - 1126年)は、北宋末期の宰相将明開封府の人。徽宗勅撰の青銅器図録『宣和博古図』の主編者[1]

生涯

崇寧年間に進士に及第した。立派な美少年の上に口達者であり、元符3年(1100年)に蔡京の宰相復帰を助けて、蔡京の抜擢で校書郎から御史中丞に上った。蔡京が引退すると、その後を継いで宰相となった。徽宗に迎合して多くの珍宝や奇品を献上し、信任を受けた。一方、私財の調達に狂奔、公金の横領の上に、婦女の奪取など横暴を極めた。

宣和7年12月23日(西暦で1126年1月25日)、軍の侵攻に慌てた徽宗は、長男の欽宗に譲位した。王黼は、以前に鄆王趙楷(徽宗の次男)を太子に擁立しようと画策したことが露見して、欽宗により免職された。金軍の来襲に、王黼は財産を持って先に逃亡したが、雍丘で捕らえられた。直後に、蔡京・童貫梁師成中国語版朱勔中国語版李邦彦中国語版と共に「六賊中国語版」とされ、それぞれ遠方へ流罪に処せられた。まもなく欽宗の命により、開封府尹の聶山の手で斬首された。

脚注

参考文献


王黼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「王黼」の解説

楊令伝宰相当初蔡京傀儡に過ぎなかったが、次第に独自の行動取り始めて蔡京高俅対立する高俅同様に政治無能だ権力保持には聡い金軍開封府に迫る中、退位した徽宗官僚と共に開封府捨てて江南へと逃れようとしたが、その途上反対者により殺害される

※この「王黼」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「王黼」を含む「大水滸シリーズの登場人物」の記事については、「大水滸シリーズの登場人物」の概要を参照ください。

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