林霊素とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 学問 > 世界宗教用語 > 林霊素の意味・解説 

りんれいそ 【林霊素】

中国北宋末の道士。字は通叟。温州永嘉浙江省)の人。初め仏教僧だったが修行厳しさから道士転向皇帝徽宗信任得て仕え、帝に勧めて道士優遇させた。だが甘えて横暴な行為をしたので追放され楚州安徽省淮安県)で没。(?~一一一九

林霊素

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 04:04 UTC 版)

林 霊素(林靈素、りん れいそ、1076年熙寧9年) - 1120年宣和2年)[1])は、北宋道士。北宋第8代皇帝徽宗に取り入り、仏教弾圧事件を引き起こした中心人物とされる。1114年政和4年)頃[2]に皇帝に拝謁し、その後権勢を恣にしたが、 1119年(宣和元年)に皇帝の信任を失い追放された。


  1. ^ 宮川尚志による推定年:『林霊素と宋の徽宗』p.1-2 。諸説あるが、この記事では宮川説を採る。
  2. ^ 諸説あり、宮川尚志による推定年:『林霊素と宋の徽宗』p.3 。
  3. ^ 『宋史巻462』に伝記あり。1114年(政和4年)に死去。
  4. ^ 『宋史巻462』に伝記あり。1116年(政和6年)に失脚。
  5. ^ 『宋史』に伝記はない。
  6. ^ 久保田和男 『北宋徽宗時代と首都開封』 p.628 。
  7. ^ 窪徳忠『北宋の徽宗の仏教弾圧事件』p.8 。
  8. ^ 明節皇后。皇后は追贈。
  9. ^ 原文は「林靈素,温州人。少從浮屠學,苦其師笞罵,去為道士。善妖幻,往來淮、泗間,丐食僧寺,僧寺苦之。政和末,王老志、王仔昔既衰,徽宗訪方士於左道録徐知常,以靈素對。既見,大言曰:「天有九霄,而神霄為最高,其治曰府。神霄玉清王者,上帝之長子,主南方,號長生大帝君,陛下是也,既下降於世,其弟號青華帝君者,主東方,攝領之。己乃府仙卿曰褚慧,亦下降佐帝君之治。」又謂蔡京為左元仙伯,王黼為文華吏,盛章、王革為園苑寶華吏,鄭居中、童貫及諸巨閹皆為之名。貴妃劉氏方有寵,曰九華玉真安妃。帝心獨喜其事,賜號「通真達靈先生」,賞賚無算。」 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:宋史/卷462
  10. ^ 四十五歳勞生、浮名満世崢嶸。只記神霄舊路、中秋月上三更。
  11. ^ ミヤカワ ヒサユキ、1913 - 2006年。東海大学教授。専門は中国史、魏晋南北朝時代。
  12. ^ 長野工業高等専門学校, 一般科, 教授


「林霊素」の続きの解説一覧


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「林霊素」の関連用語

林霊素のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



林霊素のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
中経出版中経出版
Copyright (C) 2024 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの林霊素 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS