海保青陵とは? わかりやすく解説

かいほ‐せいりょう【海保青陵】

読み方:かいほせいりょう

[1755〜1817江戸後期儒学者経済学者江戸の人。諸国巡り諸藩・武士経済立て直しや、商売繁盛方策説いた晩年京都で開塾。著「稽古談」「万屋談」など。


海保青陵

読み方かいほ せいりょう

江戸後期経世家江戸生。姓は角田、名は皋、字を万和通称儀平徂徠派の宇佐美師事。父の致仕などから家督を弟に譲り曽祖父海保姓をついで浪人儒者となる。関東西国巡歴の後京都定住し多く著述を残す。近代的合理主義につながる視点根底にもつ財政理論展開した文化14年1817)歿、61才。

海保青陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 07:25 UTC 版)

海保 青陵(かいほ せいりょう、宝暦5年(1755年)9月[1] - 文化14年5月29日1817年7月13日))は、江戸時代後期の儒学者経世家。通称儀は平(儀兵衛)または弘助、は萬和。青陵はである[2]。別号に皐鶴。自著では「鶴」と称している。


  1. ^ a b c d e f g h 百瀬明治『名君と賢臣 江戸の政治改革』「4 海保青陵 江戸中期の異色経世家」(講談社現代新書1313、1996年)p.137-150
  2. ^ 荘子』外物篇の「青青たる姿、陵陂に生ず」に基づく(福永光司による)。
  3. ^ 源(1971)。
  4. ^ 徳盛(2012)pp.32-33。
  5. ^ 「木蓮図」(仙台市博物館編集・発行『特別展図録 樹木礼賛 日本絵画に描かれた木と花の美』2014年9月、p,78、131)など。
  6. ^ 交流のあった司馬江漢の証言(徳盛(2013)pp.328)。
  7. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.51
  8. ^ 『国史大事典』「海北群」参照。
  9. ^ 『青陵遺編集』p.5。蔵並(1990)p.8。


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