経世思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:55 UTC 版)
古文辞学によって解明した知識をもとに、中国古代の聖人が制作した「先王の道」(「礼楽刑政」)に従った「制度」を立て、政治を行うことが重要だとした。徂徠は農本主義的な思想を説き、武士や町人が帰農することで、市場経済化に適応できず困窮(「旅宿の徒」)していた武士を救えると考えた。 徂徠は柳沢吉保や第8代将軍徳川吉宗への政治的助言者でもあった。吉宗に提出した政治改革論『政談』には、徂徠の政治思想が具体的に示されている。人口問題の記述や身分にとらわれない人材登用論は特に有名である。これは、日本思想史の流れのなかで政治と宗教道徳の分離を推し進める画期的な著作でもあり、こののち経世思想(経世論)が本格的に生まれてくる。服部南郭をはじめ徂徠の弟子の多くは風流を好む文人として活躍したが、『経済録』を遺した弟子の太宰春台や、孫弟子(宇佐美灊水弟子)の海保青陵は市場経済をそれぞれ消極的、積極的に肯定する経世論を展開した。兵法にも詳しく、『孫子国字解』を残した。卓越した『孫子』の注釈書と言われている。
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