経世会の誕生と田中支配の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:49 UTC 版)
「角福戦争」の記事における「経世会の誕生と田中支配の終焉」の解説
1985年2月7日、自民党を離党しながらも派閥領袖として影響力をもち続ける田中角栄に竹下登・金丸信らが反旗を翻して「創政会(そうせいかい)」を結成。田中は過度の飲酒がたたり、それから間もない2月27日に脳梗塞で倒れる。 対立軸を失った福田、三木が次第に影響力を失う中、1987年7月4日、竹下ら113人の議員は田中派から正式に独立して、「経世会(けいせいかい)」を結成した。この年、中曽根が総裁選不出馬を決定。田中は総裁選で二階堂を全面的に支援しようとしたが、田中派のほとんどの議員が経世会に参加したため二階堂を支援したのはわずか十数人であった。結果、二階堂は出馬を見送り竹下登・安倍晋太郎・宮澤喜一の3候補者による争いは中曽根裁定により竹下が総裁に就任した。 翌1988年には三木が死去した。その後田中派・福田派はそれぞれの後継領袖である竹下登と安倍晋太郎が盟友関係にあったことから協調路線に入っていった。
※この「経世会の誕生と田中支配の終焉」の解説は、「角福戦争」の解説の一部です。
「経世会の誕生と田中支配の終焉」を含む「角福戦争」の記事については、「角福戦争」の概要を参照ください。
- 経世会の誕生と田中支配の終焉のページへのリンク