経伏波神祠詩とは? わかりやすく解説

経伏波神祠詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 14:27 UTC 版)

伏波神祠詩巻」の記事における「経伏波神祠詩」の解説

この詩は、唐代詩人劉禹錫が壷頭の伏波神祠通過参拝したときの作である。伏波神祠は、後漢の伏波将軍馬援を祠った神社で、馬援海路遥かな安南地方征して功があり、後に「伏波」の名によって、水の神として祀られた。 安南地方征した功により、馬援新息侯に封ぜられたが、更にまた、安南武陵蛮族討伐向かい高齢の身でありながら地形険しい壷頭を陣地として戦った。しかし、悪疫流行苦戦の末、多く兵士失い自身洞窟病死し官位剥奪された(後に許され旧に復した)。それが後人同情をひき、伏波将軍水難を守る神として当時民間信仰され各地神祠建立された。「経伏波神祠詩」は、この伏波将軍祀った祠前を過ぎて感懐の詩である。 原文訓読經伏波神祠 伏波神祠を経る。 蒙蒙篁竹下、有路上壺頭。 蒙蒙たる篁竹の下、路ありて壷頭に上る。 漢壘麏鼯闘、蠻溪霧雨愁。 漢塁、麏鼯闘い、蛮渓、霧雨愁う。 懷人敬遺像、閲世指東流。 人を懐うて遺像を敬し、世を閲(けみ)して、東流を指す。 自負覇王略、安知恩澤侯。 自負す、覇王の略、安(いずく)んぞ知らん恩沢の侯。 鄕園辭石柱筋力盡炎洲。 郷園の石柱辞し筋力、炎洲に尽く。 一以功名累、飜思馬少游。 一に功名を以て累(わずらわ)さる、翻って、馬少游を思う。

※この「経伏波神祠詩」の解説は、「伏波神祠詩巻」の解説の一部です。
「経伏波神祠詩」を含む「伏波神祠詩巻」の記事については、「伏波神祠詩巻」の概要を参照ください。

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