経伏波神祠詩
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この詩は、唐代の詩人・劉禹錫が壷頭の伏波神祠を通過参拝したときの作である。伏波神祠は、後漢の伏波将軍・馬援を祠った神社で、馬援は海路遥かな安南地方を征して功があり、後に「伏波」の名によって、水の神として祀られた。 安南地方を征した功により、馬援は新息侯に封ぜられたが、更にまた、安南の武陵の蛮族の討伐に向かい、高齢の身でありながら地形が険しい壷頭を陣地として戦った。しかし、悪疫の流行と苦戦の末、多くの兵士を失い、自身も洞窟で病死し、官位も剥奪された(後に許され旧に復した)。それが後人の同情をひき、伏波将軍は水難を守る神として当時民間に信仰され、各地に神祠が建立された。「経伏波神祠詩」は、この伏波将軍を祀った祠前を過ぎての感懐の詩である。 原文訓読經伏波神祠 伏波神祠を経る。 蒙蒙篁竹下、有路上壺頭。 蒙蒙たる篁竹の下、路ありて壷頭に上る。 漢壘麏鼯闘、蠻溪霧雨愁。 漢塁、麏鼯闘い、蛮渓、霧雨愁う。 懷人敬遺像、閲世指東流。 人を懐うて遺像を敬し、世を閲(けみ)して、東流を指す。 自負覇王略、安知恩澤侯。 自負す、覇王の略、安(いずく)んぞ知らん、恩沢の侯。 鄕園辭石柱、筋力盡炎洲。 郷園の石柱を辞し、筋力、炎洲に尽く。 一以功名累、飜思馬少游。 一に功名を以て累(わずらわ)さる、翻って、馬少游を思う。
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