黄震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 04:20 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動黄震(こう しん、1213年-1281年)は、中国南宋末期の儒学者。字は発。
生涯
慶元府慈渓県出身。宝祐4年(1256年)に進士となる。呉県尉より咸淳3年(1267年)に史館検閲に昇進、寧宗と理宗の実録編修に携わる。百姓の困窮と兵力の弱体化、財政悪化の現状を上奏した際には度宗の逆鱗に触れ、判広徳軍に左遷され、知撫州となって善政を施した。提挙常平倉史・定点刑獄になった後も貧民救済のための政策を行うが、富人の怨みを買ったことからその地を去る。
宋朝が滅亡すると隠居をし著作と教育に専心する。朱子学を宗として門人に教え、没後に門人達が文潔先生と諡している。
著書
- 『古今紀要』
- 『黄氏日鈔』
- 『戊辰修史伝』
- 『礼記集解』
- 『春秋集解』
参考文献
- 『明史』列伝第197·儒林8
- 『宋元学案』巻86
- 張偉『黄震与東発学派』(北京:人民出版社,2001年)
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