偽作説をめぐる歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 06:31 UTC 版)
混乱を避けるため、以後の説明では、今に伝わる『新語』を今本(きんぽん)と書く。偽作説の見方では、真の『新語』と今の『新語』は異なるので、こうした区別が便利である。 偽作説の初めは、13世紀、南宋の黄震と言われる。『新語』「弁惑」篇の中で「今、上に明王聖主なく、下に貞正諸侯なし」と皇帝とその重臣を厳しく非難しており、皇帝と重臣が並ぶところで奏上する内容ではない。「馬上で天下を得ても馬上で天下を治められない」という陸賈の持論が反映された箇所がない。というのが黄震の疑問であった。 その後も偽作説・真作説の意見が表明され続けたが、偽作説を強めたのは、清代の『四庫全書総目提要』である。司馬遷は『史記』を書くときに『新語』を参考にしたと言われているのに、実際に『史記』と『新語』今本を比べてみると、内容に重なる部分がない。他2点の引用関係の不審をあわせ、司馬遷が見た『新語』は今本と異なるとして、偽作を主張した。 しかし、『四庫全書総目提要』の上記の指摘は、『漢書』を直接参照せずに誤った引用を元に批判をしたもので、1930年に胡適がこのことを指摘すると偽作説の勢いは衰えた。中国では多くの学者が現在の『新語』を真のものと認めている。日本では宮崎市定が真作説を強く肯定した。 それでも、今本の文章が高祖への奏上として場違いだという疑問は解消されていない。金谷治のように、現在の『新語』は陸賈による別の著作だと考える説もあり、これもまた有力である。『漢書』芸文志は、陸賈の著作を3つ挙げる。「楚漢春秋9篇」、「陸賈賦3篇」、「陸賈23篇」である。『楚漢春秋』は歴史書、賦は詩の一種だが、陸賈23篇は儒家のものとされている。これが『新語』の名で伝えられた可能性を考えるのである。 また、陸賈作を否定する論としては、福井重雅が『陸賈「新語」の研究』で、今本で使われる「五経」という表現が漢初にはまだ現われていないはずだという疑いを加えた。 以下では偽作説からの疑問点を先に書き、それに対する真作説からの弁護論があれば次にまとめる。
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