上海での文学運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 16:48 UTC 版)
肺結核を病んだ瞿秋白は上海にて療養する一方で、文芸活動や翻訳に従事し、茅盾・魯迅と交流した。瞿秋白と魯迅の間には深い交流があった。2人は1930年代に上海にて左聯文学運動を行い、瞿秋白は胡適ら「新月派」、杜衡ら「第三種人」、胡秋原ら「自由人」、黄震遐ら「民族主義文学」を批判した。魯迅はまた、瞿秋白を何度か自宅に匿っている。瞿秋白も『魯迅雑感選集』を自ら編集して序言を書き、また魯迅に対して「人生得一知己足矣 斯世当以同懐視之」の句を送って恩に応えた。後に瞿秋白が逃亡中に逮捕された際、魯迅は彼を救おうと努めたが果たせず、瞿秋白の処刑後に瞿秋白の遺稿である『海上述林』を編集した。
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