上流階級の服装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 09:54 UTC 版)
「西欧の服飾 (17世紀)」の記事における「上流階級の服装」の解説
宮廷では、スペイン風の服装が日常着から廃れてからも長く正装としてスペイン風の服装が使われていた。1688年にナポリからウィーンに派遣された使節が、宮廷内ではスペイン風の服装をいまだに着用していると証言している。靴下は綿ニットのものを重ねて使うことが多くなっていて、1613年のラトランド伯の財産目録には肉色(ピンク)、緑、灰色、銀色、黒のストッキングを所持しているとある。 しかし、宮廷の儀礼やミサ以外では日常の衣服はもちろん舞踏会など貴族同士の社交の場でも、上流市民の項目で紹介したようなより軽快な格好が当たり前であった。1675年のモリエールの喜劇「ドン・ジュアン」では、水に落ちた貴族ドン・ジュアンを助けた農民が彼の服装に仰天している一幕がある。ドン・ジュアンの服装は、大きく膨らんだアロンジュ鬘に、農民のものの二倍近く膨らんだシュミーズの袖、人間二人が入れるほどの広幅のズボン「ラングラーヴ」、低い襟のついたプールポアンは腹を覆わないほど短い上に袖がなく、長い「クラヴァット」を締めているとある。しかも、レースのカフスと膝飾り「カノン」を身につけ、いたるところにリボンの束をくくりつけている。このリボンの束は1690年代ごろまで流行し、伊達男という意味の「ギャラント」と呼ばれている。色は自分の好みのものを使うほか、家に代々伝わる騎馬試合での色や、意中の貴婦人の好む色などを身に付けた。 プールポアンが極端に短くなると、体が冷えるのが防ぐために室内においては豪華な生地で仕立てた長袖で丈の長いジャケット「ヴェスト」を着た。ヴェストは後に、外套の下に着る中着として定着した。17世紀後期には、部屋着として「アンディエンヌ」と呼ばれたインド更紗のガウンが流行。モリエールの『町人貴族』では、貴族にあこがれる成り金が緑のカミソルと赤いビロードのズボンという派手な格好の上に「貴族の間に流行している」という理由で高価なアンディエンヌの部屋着をわざわざ仕立てさせる場面がある。上着として兵士が着ていた「カザック」というコートを洗練させ、腰にぴったりした服を意味する「ジュストコール」と呼んで着た。これは膝丈のジャケットの背と脇にダーツを入れて腰を絞り、裾の両脇に襠をいれて裾広がりにしたものだった。乗馬のために、背中には現在の背広のセンターヴェンツと同じような背割が入り、袖口は漏斗型に広がっていて大きく折り返し、しばしばモールで装飾された。17世紀から頻繁にファッション界に登場するようになったモールは、トルコ軍の階級章であったものがトルコに縁が深いイタリア経由で大いに流行した最新ファッションであった。この宮廷での華やかな衣装にはクラヴァットというスカーフのようなものを巻いた。これは、幅30cmで長さは1mほどの白麻やモスリンの布で、後に2mほどまで長さが伸びた。1660年に靴屋がボルドーの視察に訪れたルイ14世に、爪先が四角く踵が赤色のハイヒールを献上したところ、王にたいへん気に入られて宮廷で必ず身に付けるようになった。貴族男性は王の好みを真似、贅沢な服装をする上流市民に対して踵の赤いハイヒールを履くことを貴族のみの特権として宣言した。
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上流階級の服装
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「西欧の服飾 (17世紀)」の記事における「上流階級の服装」の解説
1660年代までの流行は上の項目で述べたものとあまり変わらない。むしろ、宮廷の女性の方が儀礼や典礼や身分の違いの表現や礼儀などの堅苦しい問題で前時代的な恰好をしていた。 ルイ14世親政開始から王の愛人や女友達が社交を主催するサロン文化が隆盛し、ファッションはより華やかになる。モール・黒いレース・リボンの段飾り・造花・黒玉・七宝焼きを施した美しいボタンなどが流行し、縞や波紋模様を織りだした絹のローブの上からレースや薄絹のローブをまとうような贅沢も見られた。1667年にセヴィニエ夫人は、王の愛人であるモンテスパン夫人の金襴のローブの上にレースのローブを着るという豪勢な装いに驚き、娘にその感激を書き送っている。セヴィニエ夫人は1676年にも、やはりレースの服とダイヤの耳飾りにたくさんの真珠を身に付けたモンテスパン夫人の豪華な姿に感激している。モンテスパン夫人の権勢はすさまじく、彼女を快く思わない人は、王の子を次々と懐胎していた彼女が突き出た腹を隠すためにコルセットもつけないネグリジェ(当時のネグリジェは部屋着や街着も含む)である「ローブ・ド・シャンブル」(インド更紗や薄絹でつくるゆるやかなワンピース風ローブ)を宮廷中に流行させたのだと苦々しく噂した。1680年には王の新しい愛人のフォンタンジュ嬢が考案した、頭の上で髪をまとめるヘアスタイルが流行した。このヘアスタイルは年ごとに細かく流行が分かれ、1685年には扇の形に整えたリボンと針金で立てたレース飾りを飾るスタイルがフランスのみならずヨーロッパ大陸全土に流行した。1687年には三つの蝶結びで立てたレースを分けるようになり、1688年にはレース飾りはぴったりと結い上げた髪に寄せてリボン束を飾るようになった。
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