上海におけるデモ
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「2005年の中国における反日活動」の記事における「上海におけるデモ」の解説
それまで目立った動きを見せていなかった上海中心部でも、初の反日デモが行われた。参加者は、ネット掲示板を利用してデモを呼びかけた。市政府も事前動向を察知しており、市内の大学生に対してデモに参加しないようにショートメッセージサービスを送った。 2005年4月16日(土曜日)午前8時半頃200人くらいの学生が人民広場南側に集まり、9時延安中路を沿って上海日本総領事館の所在地である長寧区に進んだ。日本総領事館周辺には1万人以上が集まり、約5時間にわたって、レンガの破片やペットボトル、ペンキ、卵、果物などを総領事館に向かって投げた。警察はデモ行進に同行して監視しているだけであった。政府は、デモに参加した学生たちを専用バスで学校に送った後、コンテナで日本総領事館入口の万山路を閉鎖した。 上海市内では、暴徒により日本料理店など10軒以上が壊された。この日の上海のデモ参加者は、最終的に10万人に達した模様である。反日デモの一部は暴徒化しており、中国人経営の日本料理店や中国人が乗っている日本車に対して、大勢で襲撃した。日本人がデモ参加者に追い掛け回される騒動があったほか、中国人に取り囲まれた日本人2人がパトカーに逃げ込んだが、群衆がパトカーの窓ガラスを割ったため、2人は頭などに軽いケガをした。 日系企業では、看板など日本語が書かれた部分を布で隠したり、外では日本語を話さないように指示をしたり、家族を帰国させたり、日本からの出張を中止したりなど、被害に遭わないための対処をしている。旅行会社も、観光客の身の安全の保障が取れないためか、パッケージツアー旅行中止の措置が取られた時期もあった。また、休業中の日本料理店が放火されるという、極めて悪質な事件もあった。 デモ(暴動)参加者の無差別破壊活動により、日本料理店等が破壊されたことについて、中国政府は一切の補償はしないことになっているが、非公式に上海市人民委員会が損害賠償の話を進め、窓ガラス数枚程度割られる被害にあった日本料理店に対して、ガラス代数千円規模のもののみ弁償が行われたという情報もある。日本総領事館にも建築物を所有する不動産店から同じような要請があったが、日本国内のイメージダウンを警戒してか受け入れたと言う情報はない。 デモ参加者は、上海の都市戸籍を持たない地方(農村戸籍)と国内の経済ライバル地域からの若者が多い。4月25日(月曜日)、中国の検察機関は暴動参加者の調査を始め、16人を逮捕した(李碧純(湖南省)、张建勇(湖北省)、尹秀峰(上海市))。またネットでデモを呼びかけた湯曄という上海の若者をも逮捕して、懲役5年の判決を言い渡した。同日上海市共産党党部の機関紙解放日報の社論は「大量の証拠により、今回の違法デモは愛国的な行動ではなく違法な行為であり、民衆が自発的に行ったものではなく背後に陰謀がある」と指摘した。 また、「沖縄を中国に返せ」と書かれたビラが出たと、沖縄県の沖縄タイムスが報じた。
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