上海において日中戦争の拡大を画策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 12:56 UTC 版)
「張治中」の記事における「上海において日中戦争の拡大を画策」の解説
1937年(民国26年)7月7日の盧溝橋事件の際には張治中は南京上海防衛隊司令官の任にあり、事件の起きた華北から1000キロも南に位置する上海を場所と選んでの日本に対する「先制攻撃」を蒋介石に求めた。しかし、蒋介石はこれを拒否し続けた。上海は中国の産業と金融の中心として機能し、しかも政権の首都南京に近いという土地であり、列強の利害が複雑に入り込んだ国際的な大都市でもあった。蒋介石は上海から部隊と大砲を遠ざけて日本側が攻撃する理由をなくしている。1932年(民国21年)の第一次上海事変の後の列強の中国に対する態度は強硬なものであった。そのため、中国側の軍事施設を上海近くに作らせないように非武装地帯が作られたほどである。中国国内では最大の勢力を誇る蒋介石にとってその地位を脅かすのは中国共産党ではなく外国勢力の介入であったため、それを避ける意味でも上海での戦闘は望むものではなかった。
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