道統論とは? わかりやすく解説

道統

(道統論 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/24 00:51 UTC 版)

道統(どうとう)は、儒教において上古以来、儒教の道を伝えた「聖賢」の正統。代の儒学者によって唱えられた[1][2]朱子学の術語としては、孟子以後仏教道教などの「異端」が栄え「道統」は廃れたが、周敦頤程顥程頤らがこれを復活。さらにそれを朱熹が引き継いだとし、朱子学が儒学の正統であると主張する根拠としている。考え方の萌芽は韓愈の『原道』にすでにみえるが、教義的で史実とは判断しがたい[3]


注釈

  1. ^ 韓子此語、非是蹈襲前人、又非鑿空撰得出、必有所見。若無所見、不知言所傳者何事。「孟子序説

出典

  1. ^ 新字源 2017, p. 1371.
  2. ^ 新字源 2017, p. 1448.
  3. ^ a b c 日本国語大辞典, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,世界大百科事典 第2版,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版. “道統(どうとう)とは” (日本語). コトバンク. 2020年6月21日閲覧。
  4. ^ 湯浅 2018, p. 238.


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道統論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:22 UTC 版)

儒教」の記事における「道統論」の解説

しかし、宋の天下安定した仁宗のときになると、唐末の古文復興運動共感され、漢唐時代否定されるようになった。漢唐時代には細々伝承されてきたとする孔子の道に対す系譜作られ自己その最後に置く道統論が盛んになった。例えば、古文家の開は「孔子 - 孟子 - 荀子 - 揚雄 - 韓愈」の系譜提出し、石介はこれに隋の王通加えた。ここに孟子再評価の動き起こった。宋初、孟子評価するものは少なく宋代前期激し議論経てその評価確定された。王安石科挙改革従来の『孝経』『爾雅』に代わって『孟子』を挙げ南宋になると孫奭撰と仮託されて『孟子注疏』が編まれている。人性論としても伝統的な性三品説から性善説主張されるようになっていく。逆に性悪説荀子性善悪混説の揚雄評価対象から外されていった漢唐訓詁学語義のみを重視する解釈学批判し、その中身である道徳精神重視する学問打ち出された。胡瑗・孫復・石介は「仁義礼楽を以て学と為」し、後に欧陽脩によって宋初三先生称されている。

※この「道統論」の解説は、「儒教」の解説の一部です。
「道統論」を含む「儒教」の記事については、「儒教」の概要を参照ください。

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