道統
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道統(どうとう)は、儒教において上古以来、儒教の道を伝えた「聖賢」の正統。宋代の儒学者によって唱えられた[1][2]。朱子学の術語としては、孟子以後仏教や道教などの「異端」が栄え「道統」は廃れたが、周敦頤・程顥・程頤らがこれを復活。さらにそれを朱熹が引き継いだとし、朱子学が儒学の正統であると主張する根拠としている。考え方の萌芽は唐の韓愈の『原道』にすでにみえるが、教義的で史実とは判断しがたい[3]。
注釈
出典
- 1 道統とは
- 2 道統の概要
道統論
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しかし、宋の天下が安定した仁宗のときになると、唐末の古文復興運動が共感され、漢唐時代は否定されるようになった。漢唐時代には細々と伝承されてきたとする孔子の道に対する系譜が作られ、自己をその最後に置く道統論が盛んになった。例えば、古文家の柳開は「孔子 - 孟子 - 荀子 - 揚雄 - 韓愈」の系譜を提出し、石介はこれに隋の王通を加えた。ここに孟子の再評価の動きが起こった。宋初、孟子を評価するものは少なく宋代前期の激しい議論を経てその評価が確定された。王安石は科挙改革で従来の『孝経』『爾雅』に代わって『孟子』を挙げ、南宋になると孫奭撰と仮託されて『孟子注疏』が編まれている。人性論としても伝統的な性三品説から性善説が主張されるようになっていく。逆に性悪説の荀子や性善悪混説の揚雄は評価の対象から外されていった。 漢唐訓詁学の語義のみを重視する解釈学を批判し、その中身である道徳精神を重視する学問が打ち出された。胡瑗・孫復・石介は「仁義礼楽を以て学と為」し、後に欧陽脩によって宋初三先生と称されている。
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