道統の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 03:31 UTC 版)
慶安元年(1648年)、24歳の時、父・利厳が隠居すると、家督を継いだ兄・利方に代わって厳包が光友の指南役となる。これ以降厳包は「制外物の御奉公人」として他の役目を解かれ、剣術に専念することを許されたという。翌慶安2年(1649年)、利方立ち合いの元、利厳から一切の相伝免許を受けて道統を継ぎ、さらに翌年に利厳が死去すると、父の隠居領3百石と居屋敷を譲られた。 同年6月、藩主・義直が没してその跡を光友が継ぐとその恩寵はますます厚く、やがて2度の加増を受けて総石高6百石となった。厳包の門下からは藩中に名を知られる剣士も多く輩出し、その名声は兄・利方を凌ぐほどであったという。一方で厳包との不和で一門を去る者もおり、中には自流を開いた者や円明流に転じて多くの門人を育てた高弟もいた(『昔咄』)。
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