しょう‐ぜん〔シヤウ‐〕【性善】
せい‐ぜん【性善】
性善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:54 UTC 版)
その名の通り、人間は生まれながらにして善であるという思想(性善説)である。 当時、墨家の告子は、人の性には善もなく不善もなく、そのため文王や武王のような明君が現れると民は善を好むようになり、幽王や厲王のような暗君が現れると民は乱暴を好むようになると説き、またある人は、性が善である人もいれば不善である人もいると説いていた。これに対して孟子は、「人の性の善なるは、猶ほ水の下(ひく)きに就くがごとし」(告子章句上)と述べ、人の性は善であり、どのような聖人も小人もその性は一様であると主張した。また、性が善でありながら人が時として不善を行うことについては、この善なる性が外物によって失われてしまうからだとした。そのため孟子は、「大人(たいじん、大徳の人の意)とは、其の赤子の心を失わざる者なり」(離婁章句下)、「学問の道は他無し、其の放心(放失してしまった心)を求むるのみ」(告子章句上)とも述べている。 その後、荀子(じゅんし)は性悪説を唱えたが、孟子の性善説は儒教主流派の中心概念となって多くの儒者に受け継がれた。
※この「性善」の解説は、「孟子」の解説の一部です。
「性善」を含む「孟子」の記事については、「孟子」の概要を参照ください。
- >> 「性善」を含む用語の索引
- 性善のページへのリンク