再評価の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 04:14 UTC 版)
旗田の満鮮史批判が、朝鮮と中国東北史の関係を断ち切らせてしまい、戦後日本や韓国の朝鮮史研究が、朝鮮の歴史を朝鮮一国だけで考察する一国史観に閉じ込めたという主張がある。 浜田耕策は、韓国の学界では、百済は倭国へ文化を伝来したという優越論が根強いが、それらは百済の背後にある中国との相互関係に目を向けることの弱さから生まれた優越論であり、「東アジアにおける韓国古代史の視点が弱いといわざるを得ない」と述べている。 中野耕太は、朝鮮と中国東北史の関係が排除・断絶され、朝鮮史を朝鮮一国だけでとらえることにより「自国中心の歴史認識」の基盤が形成され、朝鮮史を東アジア史でとらえることができなくなり、朝鮮史が中国から影響を受けたこと、朝鮮が中国から文化・文明をもたらされたこと、朝鮮史における中国人士の活動などが唾棄され、中国―朝鮮の宗主国―属国関係、支配―被支配関係をとらえることができなくなり、戦後の韓国人による韓国史研究が韓国でしか認められないようなナショナリスティックな歴史観を生み出し(例えば韓国の歴史教科書が記述している、檀君は実在した・檀君は実在したが箕子は実在しなかった・衛満は朝鮮人だった・楽浪郡は北京・遼東にあった・新羅の建国年は紀元前57年だった・遼西に百済領があった・渤海は朝鮮の国だった)、そのような歴史観が「竹島問題」「高句麗論争」「渤海国論争」など他国と軋轢を生む結果となり、したがって戦後日本や韓国の朝鮮史研究の一国史観に対する反省とそこからの脱却のため、満鮮史の視点を再評価する動きがあるとしている。中野は満鮮史について、朝鮮と満洲の国境を相対化するため、現代の朝鮮史研究者が満鮮史研究から参考にすべきことは、一国史観から脱却する・一国史観にとらわれない視覚であるが、朝鮮史の自主的発展を過小評価する部分は、批判的に再検証する必要がある旨述べている。 田中隆一は、戦前の満鮮史が、植民地朝鮮のナショナリズムを押さえ込む役割を果たしのは事実であり、旗田が、朝鮮史は中国諸情勢の波動にすぎないという満鮮史を「ゆがめられた朝鮮史像」であり、「朝鮮民族の主体的発展」である朝鮮史像こそが「正しい朝鮮史像」であると厳しく満鮮史を批判したのは正当であるが、「しかしながらその結果として、戦後の朝鮮(近代)史研究は『一国史』的な色彩の強いものとなり、在満朝鮮人史研究などを除けば、『満州(国)』史研究との相互関係は省みられることが少なかった憾がある」と評する。 井上直樹は、高句麗史研究にあたって、一国史観にとらわれない「満鮮史的視座」「東北アジア的視座」は有用な視覚であり、現在の国境にとらわれることなく、巨視的な視点から高句麗を理解することが必要であり、満州と朝鮮を一体的な空間として高句麗を把握しようとする満鮮史観は、高句麗を今日の国家という枠組みを超えて巨視的に理解して、高句麗が現代の国境を基準とする一国史的史観を克服するうえで、有効であると評する。井上は、満鮮史について以下のように述べている。 このことは高句麗史研究において、現在の国境ではなく、より大きな観点から高句麗史を理解することが必要であることを端的に示しているといえる。それならば、問題を多数内包しているものの、中国東北地方と朝鮮半島を区別することなく、一体的な歴史地理的空間として高句麗史を把握しようとする満鮮史的視座は、高句麗の史的展開過程を考究する上で、有効な視角の一つとおもわれる。それは高句麗の動向を今日の国家という枠組みを超えて巨視的に理解しようとする試みの一つでもある。今日の高句麗史研究が国境を基準とする一国史的史観にとらわれ論及された結果、冒頭で示したようにさまざまな問題を惹起していることを想起すれば、満鮮史的視座は一国史的史観を克服するものとして、再度、考究される余地があってもよいのではないかと考えられるのである。 — 井上直樹、帝国日本と“満鮮史”―大陸政策と朝鮮・満州認識、p229-p230 古田博司は、戦後の日本の朝鮮史研究者は、戦前の日本の満鮮史研究者の業績・研究水準には全く足元にも及ばない、そのことは研究者なら誰もが認めていると述べている。 宮脇淳子は、中国東北部の満州と朝鮮半島をつながった地域と思考して、国民国家史観にとらわれない実証研究と評している。 矢木毅は、満鮮史研究を高く評価しており、著作のなかで、満鮮史の代表的な著作を挙げ、戦前日本の満鮮史観は、満州と朝鮮を一体とすることにより、朝鮮史の独自性を過小評価したあげく、満鮮一体を唱えることにより、結果的に日本の中国侵略を歴史学的に背中を押したと批判されているが、戦前の研究者には、一定の時代的な制約が加わっているのは当然であろうとして、満鮮史を「その研究成果は以後の歴史研究の基準となり、今日広く用いられている譚其驤主編『中国歴史地図集』全8冊(1982年〜1987年、上海、地図出版社)、『中国歴史地図集釈文匯編・東北巻』(1988年、北京、中央民族学院出版社)などにも多くの面でその研究成果が受け継がれている」「拙著の記述などはその糟糠を嘗めているにすぎない」と高く評価している。また、戦後日本の朝鮮史研究を「朝鮮史を朝鮮半島の枠組みのなかに閉じ込めてしまった」として、戦後世代の朝鮮史研究者にとって、満鮮史研究者が残した膨大な学問的成果を批判的に継承して、乗り越えるのは容易ではない、と述べている。
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