戦後世代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 20:59 UTC 版)
「現代音楽/地域別の動向」の記事における「戦後世代」の解説
前衛の停滞期以後、日本ではマニエリスムが先行し実験主義の音楽と呼ばれる実験主義による次世代(かつての前衛世代以後)のヨーロッパ前衛音楽はなかなか認知されなかった。しかし、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会の日本版を意図して細川俊夫が主催した秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル(1989年 - 1998年)によってヨーロッパのエクスペリメンタリズムの音楽が次々と紹介され、さらに、1960年代生まれ以降の作曲家を中心に、日本の作曲家の潮流として秋吉台世代という新たな枠組みを生み出した。現在は別組織武生国際作曲ワークショップ(監督はやはり細川俊夫)によって類似の活動が行われている。 「日独現代音楽演奏会」は東京ではなく、関西ドイツ文化センター(現、京都ドイツ文化センター)で行われるようになり、多くのドイツ人の作曲家がここで講演会とコンサートを行った。これが初来日になったドイツ人の音楽家も多い。1980年代から現代音楽は関西、名古屋(アンサンブル・トゥデイ)などの首都圏以外の広がりを見せるようになる。 またその他にも同じベルリンで勉強した電子音楽作曲家の嶋津武仁とその弟子たちによる前衛音楽の活動、東京学芸大学で教鞭をとった吉崎清富門下生らの活動も、秋吉台世代や武生世代との対立軸をなす一つの大きな潮流になり、楽壇に次第に強い影響を与えつつある。現在では現代の波‐現代音楽祭(終会)、京都・若い作曲家による連続作品展(終会)、日伊現代音楽交流会(休会)、日独現代音楽演奏会(閉会)、九州現代音楽祭(継続中)、札幌現代音楽展(休会)、プレゼンテーション(継続中)などの催しは2000年代中庸まで継続しており、日本全体の潮流は常によりよい細分化を目指していた。 日本においては、機械的な処理を必要とする現代音楽に対し「NHK電子音楽スタジオ」の設置やその他の支援によって多くの実験的作品が作られ、FM放送番組「現代の音楽」などでも定期的に紹介されるなど、NHKが果たした役割は大きい。アメリカの現代作曲家のトップレベルに位置するデアリ・ジョン・ミゼル、マイケル・ピサロ等の紹介が遅れ、イアニス・クセナキスやポーランド楽派の紹介が驚異的に早かったのは、第二次世界大戦における敗戦が原因とみられる。 現在も、松平頼則が逆輸入の形で日本に紹介された様に、かなりの若手作曲家も逆輸入の形で日本に紹介される。世界初演を日本国内で行うと個人の経済的負担が大きいため、公的資金により海外で初演された後に日本初演されることもある。
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