女性史
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社会における女性 |
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フェミニズム |
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女性史(じょせいし、英語: Women's history; フランス語: histoire des femmes)は、女性を主体として取り上げた視点による歴史研究。アナール以降の「新しい歴史学」の一つである。
女性史は1900年代の初頭から存在していたが、一つの視座として広く認識されるようになったのは20世紀後半の事である。それまで歴史学において、女性君主や、権力者と強いコネクションを持つ女性といった特殊な個人を別にすれば、女性は総じて受動的であり、歴史の表舞台に立つ存在ではないと考えられていた。この視座はナポレオン法典以降の「近代的家族」における女性認識に基づいており、伝統的価値観と結びつき、20世紀前半までは根本的な疑義を投げかけられる事はなかった。しかし1960年代になると欧米において女性運動などがさかんになると、新しい価値観と視座から伝統的な家族観・女性観に疑問が提起され、女性を歴史の主体として取り上げる「女性史」や「家族史」が脚光を浴びる様になり、貴族から庶民に至る多種多様な階層の女性の生き方や自立性、夫婦・親子の問題、家庭・家政や相続の問題、生業などさまざまなテーマが論じられている。
女性史はフェミニズムなどの分野をも含むが、その中心的な関心はむしろ女性の日常生活上にある。これは20世紀前半以前における女性の公領域でのプレゼンスの少なさも要因の一つではあるが、女性史も含む「新しい歴史学」自体が、旧来の政治史・経済史からは見えてこない領域を主たる研究対象の一つとしてきた事と関連している。その様な意味では、女性史は最も典型的な「新しい歴史学」といえる。
各国の女性史
- 女性史(英語版)(en:Women's history)
- 日本の女性史
- 中国の女性史
- 韓国の女性史
- フィリピンの女性史
- タイの女性史
- インドの女性史
- アラブの女性史
- メキシコの女性史
- キルギスの女性史
- ウクライナの女性史
関連項目
外部リンク
女性史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:12 UTC 版)
1948年(昭和23年)に優生保護法が成立して人工妊娠中絶が合法化された。民法が改正されて遺産相続が男女平等となった。参政権を獲得した女性が、更なる地位向上を目指して女性解放運動が活発化した。1970年(昭和45年)にウーマンリブ運動が開始されたことに続いて、1975年(昭和50年)が国際婦人年とされて女性の地位向上が人類的な課題となった。1956年(昭和31年)に売春防止法が成立、1958年(昭和33年)4月1日にはが施行され公娼制度が完全に廃止、赤線が消滅した。1947年(昭和22年)10月26日の刑法の改正で姦通罪が廃止された。1947年(昭和22年)には民法の大幅な改正で家制度が廃止された。昭和20年代に主流だった産婆の補助による出産から、昭和30年代には産婦人科での出産が増加した。 ファッション面では、パンティーやブラジャーなどの洋風下着類やナプキンやタンポンなどの生理用品が普及した。昭和30年代にアッパッパと呼ばれる筒型のワンピースが普及した。昭和40年代には団塊の世代の女性を中心にミニスカートブームがあり、スカートや着物以外に女性がズボンを着用することが公認された。女性が肌を露出する水着の着用が認知されて、若い女性の間で水着が普及した。髪型ではショートカットが社会的に認知されて、化粧品や美容院・美容整形などの女性ビジネスが普及した。 生活面では、昭和30年代にミシンが普及して経済面では個人店や百貨店主流のショッピングから主婦が買い物しやすいスーパーマーケットが普及した。男女平等や高学歴化が進んでいなかった戦後世代の昭和一桁世代からしらけ世代の女性は、夫がサラリーマンで子供が平均2人の家族が平均的なモデル家庭とされた。戦後世代の女性は専業主婦が主流だった。高等教育を受ける女性が急増した新人類世代以降の20代の高学歴女性ではOLが増加するなどの変化があった。
※この「女性史」の解説は、「昭和」の解説の一部です。
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