女性史研究とは? わかりやすく解説

女性史研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 03:43 UTC 版)

ミシェル・ペロー」の記事における「女性史研究」の解説

ストライキ下の労働者」では、ストライキ参加した女性についても一章を割いて論述している。当時はまだ社会学者マドレーヌ・ギベールが女性労働者に関する研究発表した程度であったが、ペローは「パンとその値段のことを真っ先に気にかけているはずの女性」が労働運動にほとんど参加せず、むしろ女性の参加場違いだ思われていたことに驚いた。「雇用主警察官女性に対して家父長的でしばしば侮蔑的な態度取り労働者は妻をストライキ参加させたくなかった。…そして女性たちもこれを甘受し女性割り当てられ役割に従っていたのである」。ペローが女性史研究に取り組む直接きっかけになったのは、1968年五月革命およびその後女性解放運動 (MLF)である。五月革命起こった頃、ペローソルボンヌ大学勤務していたが、学生運動参加する女性は多いものの、一線活動する女性少なかった精神分析家アントワネット・フーク同じように、「五月革命思考解放する出来事だったが、運営するのも敷石投げるのも男で、女は会合発言しない。この革命でも女はしょせん第二の性』。性革命は男のもの、女は解放されたと信じて妊娠するのがオチ堕胎難しいから苦しむ。ソルボンヌの時からモニック [モニック・ウィティッグ] も私も、五月革命から解放されて、女の運動作る必要を感じた」と回想している。 1969年ペローパリ第7大学着任した五月革命影響大学制度改革が行われ、複数大学新設されたが、その一つパリ第7大学であり、1971年正式に開学した。新し学問分野および学際的研究開かれた大学として史学史その他の学問知的実験室となり、やがて女性解放運動拠点となったペローもこの運動積極的に参加し1974年、フランソワーズ・バッシュと共に女性学研究グループ」を結成。フークらも参加して人工妊娠中絶強姦同性愛売春家事労働精神分析などあらゆる問題取り組んだまた、バッシュおよび英米研究所の彼女の同僚通じて英米女性学研究者との交流深まった一方で教授昇任したペロー学部運営にも関わり、ポーリーヌ・シュミット=パンテルフランス語版)(現パリ第1大学名誉教授『女の歴史』にも執筆)、ファビエンヌ・ボックと共に新講座「女性には歴史があるか」を開設社会学者アンドレ・ミシェル(フランス語版)、歴史学者ピエール・ヴィダル=ナケジャック・ル・ゴフエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリジャン=ルイ・フランドラン(フランス語版)、モナ・オジーフ、マルク・フェローらの協力得て、「女性家族」、「女性職業」、「女性史」などのテーマ講義行ったペローはさらに女性史様々なテーマに関するセミナー開催し1975年女性人文科学」、1978年女性労働者階級」)、1979年には女性史女性人類学研究誌ペネロープ』を創刊学外はもちろん国外で知られるようになったペローにとって労働司祭との活動共産主義活動アルジェリア戦争反対運動などの一連の政治・社会活動労働運動に関する研究連動していたが、「誰のために、そして何のために研究をしているのかという違和感徒労感覚えることがあった。…女性学フェミニズム研究について事情異なり一種解放であり、女性たちとの、そして自分のなかの女性との関係回復であり、政治活動女性解放運動)、研究活動(女性史研究)および私的活動生き方問題)の折り合いをつけることだった」と語っている。 1982年は女性史研究の確立において重要な年であったトゥールーズ大学フェミニズム研究に関するシンポジウム開催されペロー女性に関する研究の現状について報告し報告書を後のフランス国立科学研究センター所長 (CNRS) のモーリス・ゴドリエ提出。同センター内研究グループ結成された。また、女性権利担当大臣1985年から女性権利大臣)のイヴェット・ルーディによりパリ第7大学を含む国立大学数校に女性学講座開設された。こうして女性学大学教育において確固たる地位獲得したのであるパリ第7大学では男性教員も女性史研究に参加し1983年に「女性史は可能か」というテーマ開催されシンポジウムでは、ロジェ・シャルチエ、ジャック・ルヴェル(フランス語版)、アラン・コルバンらとジェンダー研究をも視野入れた討論が行われた。とはいえこうした問題関心寄せていたのは若手歴史学者であり、大半研究者女性史など相手にせず、ペローのように「労働史から女性史移行するのは突拍子もないこと、むしろ言語道断なことと思われていた」という。ペローこの頃、ナタリー・ゼモン・デイヴィス(英語版)、ジョーン・スコット、ルイーズ・ティリーらの米国の歴史学者招かれカリフォルニア大学バークレー校プリンストン大学講演行っているが、1993年10月ハーヴァード大学行った講演でも、米国女性史遂げた発展比べると、フランス女性史は「制度のなかにあまり強力に組み込まれていない」、米国の「女性学バークシャー女性歴史家会議匹敵するものは存在しない」と語っている。

※この「女性史研究」の解説は、「ミシェル・ペロー」の解説の一部です。
「女性史研究」を含む「ミシェル・ペロー」の記事については、「ミシェル・ペロー」の概要を参照ください。

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