女性史研究
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「ストライキ下の労働者」では、ストライキに参加した女性についても一章を割いて論述している。当時はまだ社会学者マドレーヌ・ギベールが女性労働者に関する研究を発表した程度であったが、ペローは「パンとその値段のことを真っ先に気にかけているはずの女性」が労働運動にほとんど参加せず、むしろ女性の参加は場違いだと思われていたことに驚いた。「雇用主も警察官も女性に対して家父長的でしばしば侮蔑的な態度を取り、労働者は妻をストライキに参加させたくなかった。…そして女性たちもこれを甘受し、女性に割り当てられた役割に従っていたのである」。ペローが女性史研究に取り組む直接のきっかけになったのは、1968年の五月革命およびその後の女性解放運動 (MLF)である。五月革命が起こった頃、ペローはソルボンヌ大学に勤務していたが、学生運動に参加する女性は多いものの、一線で活動する女性は少なかった。精神分析家アントワネット・フークも同じように、「五月革命は思考を解放する出来事だったが、運営するのも敷石を投げるのも男で、女は会合で発言しない。この革命でも女はしょせん『第二の性』。性革命は男のもの、女は解放されたと信じて妊娠するのがオチ。堕胎は難しいから苦しむ。ソルボンヌの時からモニック [モニック・ウィティッグ] も私も、五月革命から解放されて、女の運動を作る必要を感じた」と回想している。 1969年、ペローはパリ第7大学に着任した。五月革命の影響で大学制度改革が行われ、複数の大学が新設されたが、その一つがパリ第7大学であり、1971年に正式に開学した。新しい学問分野および学際的研究に開かれた大学として史学史その他の学問の知的実験室となり、やがて女性解放運動の拠点となった。ペローもこの運動に積極的に参加し、1974年、フランソワーズ・バッシュと共に「女性学研究グループ」を結成。フークらも参加して人工妊娠中絶、強姦、同性愛、売春、家事労働、精神分析などあらゆる問題に取り組んだ。また、バッシュおよび英米研究所の彼女の同僚を通じて英米の女性学研究者との交流も深まった。一方で、教授に昇任したペローは学部運営にも関わり、ポーリーヌ・シュミット=パンテル(フランス語版)(現パリ第1大学名誉教授で『女の歴史』にも執筆)、ファビエンヌ・ボックと共に新講座「女性には歴史があるか」を開設。社会学者アンドレ・ミシェル(フランス語版)、歴史学者のピエール・ヴィダル=ナケ、ジャック・ル・ゴフ、エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ、ジャン=ルイ・フランドラン(フランス語版)、モナ・オジーフ、マルク・フェローらの協力を得て、「女性と家族」、「女性と職業」、「女性史」などのテーマで講義を行った。 ペローはさらに女性史の様々なテーマに関するセミナーを開催し(1975年「女性と人文科学」、1978年「女性と労働者階級」)、1979年には女性史・女性人類学研究誌『ペネロープ』を創刊。学外はもちろん国外でも知られるようになった。ペローにとって労働司祭との活動、共産主義活動、アルジェリア戦争反対運動などの一連の政治・社会活動と労働運動に関する研究は連動していたが、「誰のために、そして何のために研究をしているのかという違和感や徒労感を覚えることがあった。…女性学(フェミニズム)研究については事情が異なり、一種の解放であり、女性たちとの、そして自分のなかの女性との関係回復であり、政治活動(女性解放運動)、研究活動(女性史研究)および私的活動(生き方の問題)の折り合いをつけることだった」と語っている。 1982年は女性史研究の確立において重要な年であった。トゥールーズ大学でフェミニズム研究に関するシンポジウムが開催され、ペローが女性に関する研究の現状について報告し、報告書を後のフランス国立科学研究センター所長 (CNRS) のモーリス・ゴドリエに提出。同センター内に研究グループが結成された。また、女性権利担当大臣(1985年から女性権利大臣)のイヴェット・ルーディによりパリ第7大学を含む国立大学数校に女性学講座が開設された。こうして女性学は大学教育において確固たる地位を獲得したのである。パリ第7大学では男性教員も女性史研究に参加し、1983年に「女性史は可能か」というテーマで開催されたシンポジウムでは、ロジェ・シャルチエ、ジャック・ルヴェル(フランス語版)、アラン・コルバンらとジェンダー研究をも視野に入れた討論が行われた。とはいえ、こうした問題に関心を寄せていたのは若手の歴史学者であり、大半の研究者は女性史など相手にせず、ペローのように「労働史から女性史に移行するのは突拍子もないこと、むしろ言語道断なことと思われていた」という。ペローはこの頃、ナタリー・ゼモン・デイヴィス(英語版)、ジョーン・スコット、ルイーズ・ティリーらの米国の歴史学者に招かれ、カリフォルニア大学バークレー校やプリンストン大学で講演を行っているが、1993年10月にハーヴァード大学で行った講演でも、米国の女性史が遂げた発展に比べると、フランスの女性史は「制度のなかにあまり強力に組み込まれていない」、米国の「女性学やバークシャー女性歴史家会議に匹敵するものは存在しない」と語っている。
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