戦後共産体制下での展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:44 UTC 版)
「タトラ (自動車)」の記事における「戦後共産体制下での展開」の解説
1945年、ソビエト連邦がチェコスロバキアに進駐し、チェコは「解放」された。ほどなくソ連の影響下で共産党が政治の主導権を握り、共産主義政権が樹立された。 チェコスロバキアにおける自動車の生産はナチス・ドイツ併合下に続き、共産体制下でも統制された。 チェコの3大メーカーをはじめとする自動車メーカー・オートバイメーカーは1945年以降に国有化され、プラガはトラック・バスの専業となり、乗用車については小型車がシュコダ、中型車がタトラという形で住み分けた。シュコダは3リッター級上級モデルのスペルブの生産を1949年で終了、対するタトラも同年、フロントエンジンのベーシックモデルであるT57の製造を終了した。 戦後のタトラは、良くも悪くも共産主義体制の計画経済による管理のもと、トラック主力のメーカーとして推移することになった。他の共産主義諸国とは異なり、タトラ車、トラックは西欧や米国にも輸出され、受け入れられていた。
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