戦後優等列車の運行開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 05:17 UTC 版)
「さざなみ (列車)」の記事における「戦後優等列車の運行開始」の解説
1950年(昭和25年)7月16日 - 8月20日:土・日曜日運転の臨時快速「汐風」を両国駅 - 館山駅間で運転開始。1951年(昭和26年)夏にも運転された。 1952年(昭和27年) - 1953年(昭和28年)夏:「汐風」の運転区間を新宿駅まで延長し「夕凪」(土曜日運転)、「汐風」(日曜日運転)、両国発「さざなみ」(毎日運転)とする。1953年(昭和28年)に房総東・西線が「気動車モデル線区」に指定され、昭和28年度中までに千葉鉄道管理局管内に66両が配置されたことから、1954年(昭和29年)夏には「汐風」(毎日運転)、「夕凪」(土曜日運転)が気動車での運転に。「さざなみ」は客車列車のままであった。 1955年(昭和30年)4月17日以降:休日運転の臨時快速「房総の休日号」(新宿駅 - 成田駅 - 佐原駅 - 外川駅間)を新宿駅 - 千葉駅間で併結。 11月15日:気動車を使った同線区初の定期快速列車を設定。平日は千葉発、休日は新宿発で、朝に新宿駅 → 千葉駅 → 木更津駅 → 館山駅 → 安房鴨川駅 → 大網駅 → 千葉駅と走った後、午後に千葉駅から逆経路でまわる循環列車となっていた。 1958年(昭和33年)夏季臨時列車として「房総の休日号」房総東線 (現在の外房線) 経由安房鴨川行きを併結し、多層建て列車となる。 11月10日:この年7月10日から総武本線の両国駅 - 銚子駅間に設定されていた準急列車「犬吠」に、房総東線(現在の外房線)経由安房鴨川行き、房総西線(現在の内房線)経由館山行きの車両を併結し、3層建て列車になる。同時に名称を「房総」と改める。ただし誤乗を防ぐ観点から、銚子行きの車両には「房総(犬吠)」、安房鴨川行きの車両には「房総(外房)」、館山行きの車両には「房総(内房)」と、列車名の後に各列車の系統を表すカッコ書きがなされた。 1959年(昭和34年)7月1日:それまでの「房総」を「京葉」に改称(括弧付けは継続)。総武本線・房総東線・房総西線の臨時準急列車を2往復増発し、新たに「房総」とする。新設された「房総」は新宿駅 - 銚子駅・(房総東線・房総西線経由)新宿駅・(房総西線・房総東線経由)新宿駅間の準急列車(3層建て列車かつ循環列車)で使用。系統別の括弧書きも踏襲する。その運行系統は、2本とも新宿駅を9両編成で発車し、千葉駅で3方向へ向かう列車に分割し、房総東線 → 房総西線経由の「房総(外房)」と房総西線 → 房総東線経由の「房総(内房)」それぞれが房総半島を一周(途中ですれ違う)した後、千葉駅で再び銚子駅からきた上りの「房総(犬吠)」ともに3列車を併結して新宿駅へ戻るものであった。 1960年(昭和35年)4月25日:「房総」定期列車に変更。 11月21日:「京葉」を1往復増発するが、増発分はカッコづけをせずに3方面いずれも下りが「京葉1号」、上りが「京葉2号」とされた。 1961年(昭和36年)この年より「房総夏ダイヤ」開始。臨時準急「浜風」を増発(1往復)。翌年2往復となる。 10月1日:「京葉」のカッコづけ愛称を廃止し、上下ともに発車順に「京葉1号」・「京葉2号」とする。 1962年(昭和37年)房総夏ダイヤで臨時快速「しらすな」を両国駅 - 浜金谷駅間で運転。借入試作機関車のDF93形が牽引。 10月1日:準急は房総東・西線系統と総武本線系統の新宿駅・両国駅 - 千葉駅間での併結運転を中止。「房総」・「京葉」の名称を、房総東線系統列車は「外房」(がいぼう)、房総西線系統列車は「内房」(ないぼう)と改める。「内房」は4往復となった。「房総」の流れを引き継ぐ循環列車系統に関しては、両線の境となる安房鴨川駅で「内房」と「外房」の愛称を切り替えていた。 1963年(昭和38年)4月28日:千葉駅移転改良により千葉駅でのスイッチバックを解消。房総夏ダイヤの臨時準急の愛称を房総東線は「汐風」とする(下り5本/上り4本運転)。このうち、下り2号/上り1号(中野駅 - 館山駅間)は153系電車6両による運転とし、千葉駅以東の非電化区間ではDD13形重連+クハ16形改造電源控車連結で運転した。ほかの2往復には定期列車に先んじてキロ28形を連結。 10月1日:両国駅 - 館山駅間に、キハ58系を使用して全車座席指定席の準急列車を新設。よって自由席のみの編成であった「内房」と名称の区別をする必要があったことから、「さざなみ」と名づけられる。キロ28形を「さざなみ」と「内房」1往復に連結。 「さざなみ」の愛称自体は以前からよく臨時列車の愛称として登場していたが、この時定期列車に昇格した。また、両国駅 - 千葉駅間では、同じ内容で房総東線に新設された両国駅 - 館山駅間運転の「くろしお」と併結運転した。 1964年(昭和39年):房総夏ダイヤの臨時準急の名称を「白浜」とする(4往復運転)。下り2号/上り1号は80系電車6両によって、前年同様の運転とした。臨時快速は「さざなみ」から「かもめ」に改称。 1965年(昭和40年)房総夏ダイヤの臨時準急の名称を「汐風」に戻す。1往復増発。 10月1日:「さざなみ」に自由席車両を連結し、「内房」に統合する。この時「内房」の読みも「うちぼう」へ改められる。 1966年(昭和41年)3月5日:運行距離が100kmを越す準急列車を全て急行列車に格上げすることになり、「内房」は急行列車となる。 1967年(昭和42年)房総夏ダイヤの臨時急行を「うちうみ」に改称(6往復運転)。 10月1日:「内房」のうち循環運転を行うものを、「うちうみ」と改称(5本運転。うち2本は館山駅 → 安房鴨川駅間を普通列車とした)。 1968年(昭和43年)7月1日:「内房」「うちうみ」を「うち房」に統合。この年の房総夏ダイヤから臨時急行も「うち房」(50番台)に統合された。この年に海水浴輸送がピーク(約1200万人)を迎えた。初めて客車列車による臨時急行が運転され、このうち上り「うち房」54号の千倉駅 - 館山駅間はC57形牽引で運転。また、臨時急行の中にはキハ17形を使用した遜色急行が設定されたりもした。このほか臨時快速「さざなみ」(「かもめ」を再改称)や「富津岬」(新宿駅 - 木更津駅間・70系電車)を運転。 1969年(昭和44年)7月11日:木更津駅 - 千倉駅間の電化により「うち房」が電車化され、新宿駅・両国駅 - 館山駅・千倉駅間(季節列車のうち1往復は八王子駅発着、新宿駅 - 館山駅間の1往復は113系により運転)で運転される。これにより「そと房」との両国駅 - 千葉駅間での併結運転と循環運転は廃止。電化開業と同日から始まった房総夏ダイヤでは臨時急行については房総ローカル用・大船電車区借り入れの113系、小山電車区借り入れの115系などで運転。101系による臨時快速「さざなみ」を新宿駅・両国駅・千葉駅 - 館山駅・千倉駅間で運転。 1970年(昭和45年):房総夏ダイヤでは臨時「うち房」のうち1往復を高尾駅発着で運転。臨時快速「さざなみ」を中野駅・両国駅・津田沼駅 - 館山駅・千倉駅間で運転。 1971年(昭和46年)7月1日:千倉駅 - 安房鴨川駅間の電化により、「うち房」の下り7本/上り8本が安房鴨川駅まで延長。うち下り1本/上り2本は館山駅 - 安房鴨川駅間を普通列車とした。
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