戦後不況と会社の経営難とは? わかりやすく解説

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戦後不況と会社の経営難

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:19 UTC 版)

恒藤規隆」の記事における「戦後不況と会社の経営難」の解説

1920年代に入ると、日本これまでの好景気から一変して厳し不況時代となった第一次世界大戦好況期リン酸肥料消費量拡大して肥料生産能力増大していた。しかし不況期に入るとリン酸肥料消費量激減し肥料業界過剰生産問題直面することになった。当然、リン鉱石価格暴落した業界新規参入して急速に生産量伸ばしてきたラサ島燐鉱株式会社は、不況影響をもろに被る形となった負債増大して会社経営行き詰まり株主総会の度に恒株主たちから会社更生策について責めたてられ、債権者たちから負債の返済迫られる状態に陥ったリン鉱石売れずラサ島燐鉱株式会社は約20トンリン鉱石在庫抱え倉庫代が経営圧迫するという悪循環起きた。しかも会社債務整理陣頭指揮を執っていた常務取締役松本隆治が急死した窮地に立たされた恒は、親しかったダイヤモンド社石山賢吉アドバイスに従って大阪製錬常務取締役であった小野義夫ラサ島燐礦株式会社常務取締役として招請した。小野はさっそく会社機構改革人員整理行い、更に約20トンリン鉱石在庫処分行ったラサ島鉱業所事業縮小せざるを得ず1922年には社員鉱員最盛期の約3分の1となり、産出量も年約1万トンにまで減少した1924年1月これまでリン鉱石採掘してきた地表付近ではなく地下優良な鉱床があることが発見された。1922年3月、恒ラサ島へと渡り新たに発見され鉱床実地調査した。60代後半の恒積極的に坑道入って調査行い坑道の奥の方まで検分ようとしたところ、万一事故危惧した部下止められた。 新鉱床発見によってラサ島鉱業所採掘量は回復したものの、肥料業界不況の方は改善せず肥料価格低迷続いたラサ島燐鉱株式会社経営状態は、関東大震災による東京工場被害比較軽く震災復興景気もあって一時期持ち直したものの、1925年リン鉱石販売委託していた高田商会経営破綻し、そのあおりを受けて再び厳しい状況追い込まれた。そうこうするうちに新鉱床次第優良鉱を掘り尽くされていった1928年12月ラサ島鉱業所閉鎖されることになり、1929年4月には南沙諸島グアノ採掘中止された。 1929年4月30日経営不振責任取ってラサ島燐鉱株式会社社長辞任した社長辞任後、いったんは取締役相談役就任したが、同年6月20日には辞任してラサ島燐鉱株式会社との関係は終了したラサ島燐鉱株式会社から引退したは、1929年の夏、ラサ島での事業記念するために葉山別荘記念碑観音像建立した

※この「戦後不況と会社の経営難」の解説は、「恒藤規隆」の解説の一部です。
「戦後不況と会社の経営難」を含む「恒藤規隆」の記事については、「恒藤規隆」の概要を参照ください。

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