戦後・京浜急行電鉄へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 17:18 UTC 版)
「京浜急行バス三崎営業所」の記事における「戦後・京浜急行電鉄へ」の解説
京浜電気鉄道は1942年(昭和17年)、東京急行電鉄(大東急。現・東急株式会社)に合併され、三崎営業所も大東急(現・東急バス)の手に渡るが、直後に海軍省の要請で横須賀堀内駅から分かれて湘南久里浜までの鉄道が引かれ(現・京急久里浜線)、1944年(昭和19年)には国鉄横須賀線も久里浜駅まで延長された。これを受けて戦後、三崎へ向かうバスは東回りが久里浜駅、西回りは国鉄衣笠駅や京急横須賀中央駅での鉄道接続を大義名分として、早期に再開される。ただし、京急本線の優等列車は当時、湘南久里浜ではなく浦賀駅発着が多かったため、バスは久里浜駅を越えて浦賀駅まで行くように設定された。 1948年(昭和23年)6月1日、京浜急行電鉄が大東急から独立を果たし、三崎営業所も京急に引き渡される。しかしそれから2か月後の1948年8月、京急は三浦半島南部のバス部門を集約した三浦営業所を新設。三崎営業所は、衣笠・久里浜の両営業所と共に支所に降格した。 1949年(昭和24年)、長井線・三浦海岸線が再開するが長井線は衣笠支所、三浦海岸線は久里浜支所がそれぞれ担当することになった。さらに1951年(昭和26年)に再開された逗子 - 三崎線は逗子営業所との共管となった。このため三崎支所は担当路線が限られ、横須賀三崎線の基礎となる横浜 - 三崎急行線と、現在の三崎口線にあたる旧三崎町・初声村内のローカル線を軸に再起を目指すことになった。 詳細は「京浜急行バス久里浜営業所#久里浜営業所の開設」および「京浜急行バス衣笠営業所#戦後復興と路線拡充」を参照 1954年(昭和29年)、三浦営業所は解体され衣笠営業所と共に戦前同様の組織が再興された。しかし、久里浜支所は引き続き支所のままとされ、三崎営業所が上位の組織として統括した。久里浜営業所が独立の営業所になるのは、さらに10年弱下った1963年(昭和38年)のことである。 1970年(昭和45年)、横浜三崎急行線が横須賀駅までの運行に短縮され、現在の横須賀三崎線となる。さらに1974年(昭和49年)、翌年の三崎口駅開業を控えて長井線の逗子駅直通系統が廃止された。 詳細は「京浜急行バス逗子営業所#長井線」を参照
※この「戦後・京浜急行電鉄へ」の解説は、「京浜急行バス三崎営業所」の解説の一部です。
「戦後・京浜急行電鉄へ」を含む「京浜急行バス三崎営業所」の記事については、「京浜急行バス三崎営業所」の概要を参照ください。
- 戦後・京浜急行電鉄へのページへのリンク