戦後・レーダー哨戒潜水艦
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「ラッシャー (潜水艦)」の記事における「戦後・レーダー哨戒潜水艦」の解説
ラッシャーは8月31日にスービック湾を出港し帰国の途に就き、真珠湾とパナマ運河を経由した後、10月6日にニューヨークに凱旋した。その後1946年6月22日に退役し、コネチカット州ニューロンドンの大西洋予備役艦隊に編入された。 ラッシャーは1951年12月14日に、フィラデルフィア海軍造船所でV・D・エリー中尉の指揮下限定的に再就役する。この際に SSR-269(レーダー哨戒潜水艦)へ艦種変更され、1952年5月28日に退役後も転換作業が続けられた。フィラデルフィア海軍造船所での広範囲な船体および内部の改修後、1953年7月22日にR・W・スティアー少佐の指揮下、再就役した。11月12日にニューロンドンを出航し、グアンタナモ湾およびパナマ運河を経由してサンディエゴに12月17日到着した。続く2年間をワシントンからアカプルコまでの西海岸沖での作戦活動に費やす。1956年1月4日に第7艦隊に配備されたラッシャーは他のアメリカ軍艦艇およびSEATO軍艦艇と共に作戦活動に従事した。1956年7月3日にサンディエゴに帰還、ラッシャーは早期警戒艦として艦隊演習、対潜水艦戦訓練演習に参加し、その後1958年3月4日から9月4日まで2度目の西太平洋配備に就いた。1959年12月28日にラッシャーは極東に向けて出航した。第7艦隊に合流すると、アメリカ軍と中華民国軍との大規模合同揚陸演習「ブルー・スター Blue Star」に参加した。1960年5月にはマシュー・ペリー代将の上陸を記念して静岡県の下田港で行われた黒船祭りに参加した。ラッシャーは1960年6月20日にサンディエゴへ帰還した。
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戦後・レーダー哨戒潜水艦
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「ポンポン (潜水艦)」の記事における「戦後・レーダー哨戒潜水艦」の解説
ポンポンは8月22日に帰途に就き、9月19日にニューオーリンズに到着した。1946年5月11日にポンポンは退役し、大西洋予備役艦隊ニューロンドン・グループで保管される。その後レーダーの増設が行われ、1953年6月15日に SSR-267 (レーダー哨戒潜水艦)として再就役した。グアンタナモ湾への整調巡航の後、ポンポンは新たな母港のバージニア州ノーフォークへ向かった。11月に地中海に向けて出航し、1954年2月4日まで第6艦隊に所属し作戦活動に従事する。1955年1月にポンポンはバージニア岬(英語版)を離れてカリブ海に向かい、3月に帰還する。1956年2月にもカリブ海で活動し、その後7月6日から10月3日までは地中海で活動した。 1957年9月から10月にかけてポンポンはNATOの大規模演習「Strikeback」に参加し、スコットランドのクライド川、フランスのルアーブル、イギリスのポートランドを訪問した。ポンポンは1958年6月17日まで大西洋とカリブ海で活動し、その後地中海に移動、9月まで留まった。ノーフォークに帰還すると東海岸で活動を続け、1959年2月2日にチャールストンで予備役となる。ポンポンは1960年4月1日に除籍され、11月25日にコマーシャル・メタルズ社に売却された。 ポンポンは第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章を受章した。
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戦後・レーダー哨戒潜水艦
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「レイトン (潜水艦)」の記事における「戦後・レーダー哨戒潜水艦」の解説
メア・アイランド海軍造船所でのオーバーホール後、レイトンはパナマ運河を通過し1946年3月12日にコネチカット州ニューロンドンに到着した。レイトンは第2艦隊に配属され、続く2年半を北大西洋及びカリブ海での訓練演習に費やす。レイトンは冷戦下の西側の防衛体制に貢献した。その後、1948年の秋に予備役となったレイトンは1949年3月11日にニューロンドンで退役した。1952年7月までニューロンドンの大西洋予備役艦隊で保管された後、フィラデルフィア海軍工廠へ曳航されレーダー哨戒潜水艦への改修が行われる。レイトンは1952年7月18日に SSR-270 へ艦種変更され、1953年9月21日にJ・K・ウィルズ少佐の指揮下再就役した。レイトンは12月8日にフィラデルフィアを出航し、ノーフォーク海域で数か月間の訓練を行う。その後太平洋への展開を命じられ、レイトンは1954年3月7日にパナマ運河経由でサンディエゴに到着した。翌1955年はサンディエゴ近辺での活動に費やし、1955年5月11日に6ヶ月間の西太平洋配備に入る。レイトンは1955年11月6日にサンディエゴに帰還し、太平洋岸での訓練を行った後、5月13日から1957年11月8日まで2度目の第7艦隊での任務に従事する。1958年1月7日から11月24日までメア・アイランド海軍造船所でオーバーホールを受けたレイトンは作業完了後訓練を行い、1959年3月前半から11月中旬まで第7艦隊で活動し、SEATOとの作戦活動や海上自衛隊との演習に参加した。
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戦後・レーダー哨戒潜水艦
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「レッドフィン (潜水艦)」の記事における「戦後・レーダー哨戒潜水艦」の解説
レッドフィンはコネチカット州ニューロンドンに回航され、1946年11月1日にで予備役となった。その後1951年4月にフィラデルフィア海軍工廠でレーダー哨戒潜水艦への改修が行われる。SSR-272 に艦種変更されたレッドフィンは1953年1月9日に再就役し、続く6年にわたって本国沿岸、北ヨーロッパ、地中海でレーダー哨戒任務に当たった。
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