前衛世代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 20:59 UTC 版)
「現代音楽/地域別の動向」の記事における「前衛世代」の解説
戦後当初の日本の楽壇ではドイツ系諸井三郎門下の「新声会」およびフランス系池内友次郎門下の「地人会」をはじめとする流派が主流と見られていたが、その枠組みの外では松平頼則や清瀬保二ら新作曲派協会の活動、実験工房出身の武満徹や湯浅譲二、鈴木博義らの活動(武満と鈴木は新作曲派協会にも参加)がより前衛的な語法を目指し活動していた。また、黛敏郎によるあらゆる西洋前衛語法の模倣と紹介や、後には一柳慧らによるジョン・ケージなど実験主義の音楽の紹介などによって、ヨーロッパやアメリカの前衛音楽を吸収していった。 また1957年からは二十世紀現代音楽研究所による軽井沢現代音楽祭が計3回開かれ、ヨーロッパの前衛現代音楽が次々と紹介された。作曲コンクールも行われており、後の電子音楽の巨匠となったローランド・カイン、武満徹、松下眞一が受賞者に名を連ねている。この催しは既にドイツのダルムシュタット夏季現代音楽講習会およびドナウエッシンゲン音楽祭を強く意識しており、後述する秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバルを歴史的に先取りするものである。また1960年からの草月アートセンターによる現代音楽演奏会草月コンテンポラリー・シリーズもヨーロッパおよびアメリカの最新現代音楽シーンを紹介し続けた。 1964年からは邦楽器ブームが起こり、日本の西洋系現代音楽の作曲家の間で邦楽器を使った現代邦楽作品が多数作曲される。特に武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」(琵琶、尺八とオーケストラのための)は国際的にも広く認知され、この分野で最も成功を収めた作品である。後には邦楽器ブームは近世邦楽のみならず雅楽の楽器にも広がり、国立劇場の委嘱活動として雅楽の編成を用いた現代雅楽作品が黛敏郎、武満徹、カールハインツ・シュトックハウゼンらにより作曲される。1970年には大阪万博が開かれ、大掛かりなテープ音楽の上演を含む多くの催しが行われた。この万博をもって日本の現代音楽、さらに日本の前衛現代芸術はひとつの頂点を迎える。日本中のゲーテ・インスティチュートで「日独現代音楽演奏会」が行われていたのも、このころであった。 これらの催しはすべて東京あるいは首都圏に住まいを持つ者だけで行われており、全国的な広がりをもたなかった。例外的に関西で散発的に現代音楽のコンサートが行われていたが、定着しなかった。松下眞一は数回ほど関西でコンサートを開いた後、ハンブルクへ移住したが1980年代に帰国した。
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