国立劇場の委嘱
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開場したばかりの国立劇場(本館)が1966年に開始した「雅楽公演」は、雅楽を宮中や寺社の儀式のための音楽から一般の聴衆のための芸術音楽へと変化させる第一歩となった。しかし、初年度は物珍しさもあって多くの観客を集めたものの、2年目以降は観客数が激減し早くも存続の危機を迎えた。この状況に、国立劇場のプロデューサー木戸敏郎は雅楽の活性化が不可欠であると考え、一つの取り組みとして外部の作曲家に新しい雅楽作品を委嘱することを発案した。雅楽公演において演奏を担当していた宮内庁式部職楽部 では新作に取り組むことの是非をめぐって論争となったが、安倍季厳楽長が新作雅楽の演奏を決断し、1970年の国立劇場第9回雅楽公演において初の委嘱作品である黛敏郎の『昭和天平楽』(しょうわてんぴょうらく)が演奏された。 木戸はこれに続く二作目の新曲を、『地平線のドーリア』(1966年)の作曲者である武満徹に委嘱することにした。アメリカのクーセヴィツキー財団からの委嘱により書かれた『地平線のドーリア』は17名の弦楽器奏者のための作品であるが、雅楽や舞楽を念頭に置いて作曲したと武満自身が述べている通り、曲中では笙や鞨鼓(かっこ)の音を想起させる響きを聞くことができる。木戸はこの作品によって、武満が新作雅楽の作曲者としてふさわしいと判断した。 なお、武満が雅楽の実演に初めて接したのは1961年10月6日に宮内庁で行われた公開演奏を聞いた時であり、その時に雅楽から受けた印象を「音がたちのぼる」と形容し、そのような印象を与えている秘密は笙の音にあるのではないかと分析している。
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